No.98 西の風新聞目次
二通の古い手紙
平成21年7月31日付

 手元に少年時代、友からもらった二通の古い手紙が保存されている。大切な宝物である。
 一通は小学4年の時、新潟の祖父が病に倒れ父母が看病することになり家族一同東京から引っ越した直後学友のK君からもらった手紙である。発信が昭和23年3月4日となっていて封書の下端は当時占領軍が開封して検閲し英文字印刷のテープで封をされている。(以下2通とも原文のまま)

〝赤見君ごぶさたしました。もう東京のほうでは梅がまんかいです。赤見君とわかれる時はさむかったけれどこのごろはとてもあたたかなとてもいいお天気です。もうげきのれんしゅうもしています。四年のするげきは、あるひのもりの中とみてござる。赤見君も新潟縣でいっしょうけんめいべんきょうをしてください。ぼくもさきにたってきゅうちょうでもなります。赤見君もからだをおだいじにぼくもからだをきたえ五年生になります。さようなら。”

 先年開催のクラス会では残念ながらK君との再会を果たすことは出来なかった。元気に暮らしているらしい。
 もう一通は新潟県立村上高校に他村の中学校から入学してきて初めて出会い友人となったA君からの手紙で、祖父が亡くなり再び上京した直後(昭和30年3月21日発信)のものである。

“拝啓 三月ともなれば暖かい風も吹きすっかり春めいて来ましたね。赤見君学期末試験はどうでしたか。試験前に勉強しようと思い、少し無理したら腹が痛いので医者に行ったら盲腸炎といわれてしまいました。明日から試験が始まろうとしているのに。自分は運がいいといつて良いのか、不幸といって良いのか。盲腸は良くなりましたが、風邪により肺炎を起こしてしまいもう少しであの世行きになろうとしてしまいました。人間にとって病気ほど悪いのはないね。自分もはじめてわかったようだ。中略
さて自分たちの修学旅行(東京方面)も今月末行われますが自分は行かれなくなりました。というのは自分が病気で金も使ったし、これ以上家の人に心配かけては悪いからね。母親が日光の寺に参拝するので母も金がかかるので今度のことは母を行かせて自分は行かないことにした。これで自分は満足しているのだ。これからは三年生になるのだからお互いにガンバロー。以下略”

 修学旅行団を訪ねて上野の宿泊旅館に行ったがそこにはA君の姿はなかった。口伝えに若くして他界したことを知った。
二通の手紙は、私の精神的成長に大きな役割を果たしてくれたと感謝している。

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