No.97 西の風新聞目次
祖先に学ぶ
平成21年7月10日付

 先日、拙宅に新潟市在住で無面識の郷土史研究家から一通の手紙が資料とともに届いた。
 内容は、宮本武蔵―寺尾信正―柴任美矩―吉田實連―立花峯均―立花増寿―丹羽五兵衛信英と繋がる福岡藩の道統 丹羽五兵衛信英が越後に入り、信英の免許皆伝を受けた門人の一人に村上藩(内藤家)赤見俊平有久がいる。村上藩以外の史料や五輪書、武蔵画像、兵法口伝書、五尺木刀など多くが確認されている。しかし村上藩のものは一つも出ていない。赤見俊平の兵法二天一流関係の史料は現在も保存されているか、話しを聞きたいというものであった。何故か他にも同様の問い合わせがこのところ続いている。
 宮本武蔵といえば近年ではNHK大河ドラマ(平成15年度)で放映され全国民注目の的となったが、二刀を用いる二天一流兵法の祖、あの猛々しい武術者宮本武蔵の武術が私の祖先俊平に受け継がれていたということは幼いときから父の口伝えや我が家に保存されている諸書物などから承知はしていた。
 昭和6年村上本町教育会(村上本町は村上藩士族の町として栄えていたが近隣町村と合併を重ね現在村上市となっている。)発行の村上郷土史には「二天流は赤見俊平を以って始とする。」とし次のような記述がある。
 赤見俊平は市郎左衛門有能の子で徒士であった。丹羽五兵衛について学ぶこと年余、終にその奥義を得た。(丹羽五兵衛は何れの人であるかを知らず。或は曰ふ丹羽五兵衛は匿名であって、實は黒田侯の藩老某の庶子であるが、故あって人を斬り、去って越後に入り中條の附近、柴橋に寓居して世を避けたものであると云ふ。)五兵衛は二天流の達人故、學ぶ者が多かった。俊平が其名を聞き、道を遠しとせず、徃つて學んだと云ふ。中略 寛政七年藩始めて二天流の道場を設け、俊平に師範を命じた。以下略
 郷土史研究家の問い合わせと我が家の保存書物を照らし合わせる会を悠々徒然塾(6月19日付本欄)で仲間たちと今夏、宮本武蔵像の掛け軸を掲げ開催の予定である。

 盆を控え、若き日に剣の道の志をたて毎日徒歩で遠隔の地にある師の家に通い奥義をきわめ地域の指導者として活躍した祖先に学ぶ私である。

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