No.9 西の風新聞目次
2003年3月7日付

 新潟県北を流れる三面川(みおもてがわ)は、鮎釣りの名所、鮭が遡上する川として知られている。その三面川が私の少年時代胸をときめかせた遊び場の一つだった。
 母校(小学校)の応援歌に
   『三面川の流れより
       清く雄々しく戦わん
          奮え奮え我が選手』という詞があるほど抜群の清流と急流を特徴とする川なのであるが、誰に教わることもなく泳ぐのに格好な場所を見つけ、夏は仲間たちと赤ふんどし一本持って毎日のように泳ぎに行った。その場所は天然のプールになっていて深さは立って足が届かず、流れはあるかないかの緩やかなものだった。
 上流から流れに身を任せ岸の小枝につかまりながらおっかなびっくり繰り返す内に自然と体が水に浮くようになり平泳ぎ程度はマスター出来た。近くには日本海があり、そこでも泳げたのであるが、浜から僅か一メートルも離れると急に深く落ち込むので子どもにとっては恐ろしいところであった。
 後年、プールで泳ぐ機会があったが、面前に小波が前後左右から絶え間なく迫ってきてその処理に苦労し、泳ぐにはやっぱり川が一番だと思ったことを憶えている。
 子どもの釣り遊びには、清流の鮎釣りよりも濁った川での雑魚釣りがいい。釣餌のミミズと釣竿を持って、一時間以上もかけて田んぼの中の一本道を歩き日本海との接点にある濁り川によく行った。 ハゼ等が沢山釣れ親父に誉められ、おふくろにてんぷらにしてもらい家族で食した味が忘れられない。

 ところで我がふるさと西多摩には多摩川、秋川という大都市東京にあっても比較的清流を保ち都民、地域住民の憩いの場になっている川がある。
 その表情は都市化の波、生活様式の変化の影響で自然・親水型河川から都市・治水型河川へと姿を変えていく過程にあるのが実情だ。
 昭和四十年代のはじめには平井川の代田橋付近に毎夏地域住民が子どもたちのために造ったのか川を堰きとめ自然のプールにしていた。近年では市民団体が「鰍を呼び戻す」「鮭の稚魚の放流」等の運動を展開していた。
 学校の前を流れる川の目と鼻の先の対岸にある日、鉄の塊のような大きな遊具が出現し子ども達が嘆き悲しんだこともあった。
 貴重な財産である川を自然環境豊な状態で残し続けるのしは一体誰の責任なのであろうか。
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