No.85 西の風新聞目次
忘るまじカウラ 訪問編
平成20年10月10日付

 8月1日付本欄の訪問編である。
 訪問団は一般公募により集った教育関係者、会社経営者、新聞記者、作家、福祉関係者それに本企画に呼応してくれた八王子芸者衆等計20名で構成された。
 東京国際(成田)空港を離陸後、硫黄島の上空を通過し南下すること7千8百㎞、およそ9時間のフライトで人口430万人を数えるオーストラリア最大の大都市シドニー市に到着した。
 シドニーから内陸に向かって西へ317㎞、2000年に世界遺産に登録されたブルーマウンテンズ地域を経由、4時間程専用バスを走らせると目的地の人口1万2千人の小奇麗な町、カウラ市にたどり着いた。我々一行が、成田を飛び立ったのが前日の午後9時30分、このカウラに到着したのが翌日の午後8時、途中いろいろの経験をしながらではあったのだが、丸一昼夜を要しての旅であった。天空にきらめく星座の中にひときわ目立つ南十字星が我々を迎えてくれた。
 カウラ訪問の目的は三つあった。一つは先の世界大戦中オーストラリアで亡くなった若き日本兵の墓地への慰霊訪問、二つ目は日豪友好のしるしとして設置された日本庭園での日本文化紹介行事参加、三つ目は桜、ユーカリの植樹である。
 町外れの丘陵には、大戦中、主に日本兵を収容した捕虜収容所があった。この収容所を舞台に起った日本兵による「大脱走事件」は現在も戦史に残る事件として語り継がれている。この事件で亡くなった日本兵231名は地元民により手厚く葬られ更にはオーストラリア兵とカウラ市民の墓地の間に日本兵墓地も造ってくれた。「汝の敵をも愛す」キリスト教精神が真に生かされたカウラ市民の行いは国連に認められ、ユニセフからは世界平和貢献都市の象徴である「世界平和の鐘」がカウラ市に贈られている。墓前で団員一同花束を手向け、八王子芸者衆のリーダーの恵みさんが、古賀政男作 藤山一郎の歌「影を慕いて」が流れる中で日本舞踊を披露した。日豪の参列者一同皆涙して見入っていたのが印象的であった。墓に眠る人たちも遠い祖国日本を懐かしく思ってくれたことだろう。
 日本庭園の特設舞台ではカウラの人々の前で日本髪姿の芸者衆が日本舞踊を披露したが、終了後も席を立てないほどの盛況であった。墓地と庭園間約5㎞の道筋に桜2000本植樹運動の手伝い、旱魃対策としてのユーカリ植樹も無事終え、今回のプログラムが日豪和敬・親善ひいては世界平和に役立つことを信じて旅は終了した。

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2002・8・9~ Produce byIchiro Akami