No.82 西の風新聞目次
忘するまじカウラ
平成20年8月1日付

 オーストラリアのシドニーから内陸に320㎞程入ったところにカウラという牧歌的な田園風景が広がる美しい小都市がある。このカウラ市が私たち日本人にとって忘れてはならない町であることを知っている人はあまり多くないようだ。

 実はこの地には第二次世界大戦中、南太平洋戦線で捕虜となった日本軍兵士を収容した連合国軍管理の捕虜収容所があった。終戦前年の8月のある真夜中、収容されていた兵士の大半900人余が「生きて虜囚の辱めを受けず」と自決が目的の突進を決意し突撃ラッパを合図に機関銃が待ち構える鉄条網に向かって一斉に飛び出し一瞬にして230名近い死者を出した現代軍事史上最大規模といわれる「捕虜大脱走事件」が起きた地なのである。その時の犠牲者はカウラの農地に埋葬された。

 終戦後激しい反日感情、憎悪の時の流れを経て大戦に参加した現地の帰還将兵等を中心に人道的見地からと放置されていた「日本兵の墓地」の清掃を始めたことがきっかけとなり、その後国交も正常化し、日本大使館、オーストラリア政府、カウラ市の働きで、「日本人戦没者墓地」を完成させ周辺には「日本庭園」も設置された。この二つを結ぶ約5㎞の道筋には日豪友好の桜並木道を計画、日本国内有志の寄付により現在930本程植樹され毎年美しい花を咲かせ訪れる人々を楽しませている。

 学校法人菅生学園(幼稚園 初等学校 中等部 高等学校)では、桜植樹への協力の他、高等学校が交換留学、中等部は修学旅行、各クラブ(ラグビー、合唱、柔道、野球、ソフトボール)の遠征等を通じて生徒達が長年シドニー・カウラと交流を深めてきた。特に野球部は3回の遠征で、その都度カウラ市を訪ね、前記脱走事件で亡くなった同世代が眠る墓地に花束と線香を手向けている。

 近年地球温暖化の影響からかカウラ地方が120年来の旱魃・渇水で市民が深刻な打撃を受けていることを知り、学園では、カウラ市長の要請に応え日本人墓地等に献身的なお世話をいただいているカウラ市民への恩返しの意も含めて地球温暖化防止のための小さなお手伝いとして今年から各訪豪主目的の他にユーカリ樹植林をプラスして生徒等を計画的に派遣することにしている。今夏休み中は語学研修団、バスケットボール部遠征団が出発、市民団は現地の桜が咲く9月に日豪親善桜植樹20周年記念行事、日本人戦没者墓地合同慰霊祭参加とあわせてユーカリ樹をはじめとする植樹に協力する予定である。一層の日豪友好が進むことを期待している。(市民団員公募中)


 index        西の風目次 
2002・8・9~ Produce byIchiro Akami