No.8 西の風新聞目次
夕  日
2003年1月31日付

 それは日本が世界を相手にした戦争に敗れた昭和二十年、私が八歳の晩秋、疎開先の新潟から今では想像もつかないような劣悪な車両の満員列車に乗り、夜通し亡き父の温かい体に保護されながらやっとの思いで帰京し、山手線新大久保駅に降り立った時のことであった。
 ホームから見える風景は、あたり一面三百六十度すべてが焼け野原で、自分の家があった東方は勿論のこと、西方面は中野、荻窪、そのずっと先まで遮るものが全くないほどに焦土、廃墟となっていた。
 その遥かかなたに今まさに沈もうとしている大きな真っ赤な太陽があった。極度の疲労と傷心の私たちに安らぎを与えてくれた光景であったことを今でも鮮明に憶えている。

 もしかするとこの時目にした「廃墟の中の美しい夕日」が、その後の私に何らかの影響をあたえてくれたのかもしれないと思うことがある。

 縁とは不思議なもので私は小学校五年から高等学校二年までの七年間日本海に沈むこれまた夕日がとびきり美しい新潟で暮らすことになった。冬の日本海は黒緑色をしていて荒々しい波が面前に襲ってくる、恐ろしいほどの迫力があり印象深いものなのであるが、夏の夕日はまた魅力的なものである。黒々とした特有の海に消えて行く太陽は圧巻であり今でも車を飛ばして見に行くこと度々である。

 ところで私たちが住む西多摩、とりわけ秋川流域の夕日はこれまた格別である。
 もう一昔のことになるが、弦哲也作曲の「秋川市の歌」があった。その歌詞に
  『東に武蔵野
     広がるところ
        西は大岳 三頭山
          山並み遥か
             黄金に映えて…』という箇所がある。
 朝日で黄金色に輝く山並みの風景も美しさでは引けを取らないのであるが、私は影絵のような流域の山々のシェルエットを道連れに沈む太陽に魅力を感じている。
 
 私たち人類は、壮大な宇宙に奇跡的に存在する地球の豊かな自然環境の恩恵を受けながら今日まで生き続けてきた。しかし近年、科学の発達とともにややもすると地球を破壊しながら生きて行くという道を歩みはじめている。
 私たちは今一度このかけがえのない「地球」に感謝する、感動するあるいは畏敬の念を抱く必要があると考える今日この頃である。
 index        西の風目次 
2002・8・9〜 Produce byIchiro Akami