No.78 西の風新聞目次
山 野 草
平成20年5月2日付

 若葉の美しい季節となった。「花を賞するに慎みて離披に至る勿れ(花を賞するには満開にならないうちのほうが良い)」という故事がある。「自然がほどこす彩色に挑みうる想像力を、誰がもちうるだろうか」といったイギリスの詩人(トムソン1700~48)もいる。いずれも人間との関わりにおける自然のめぐみの奥深さを物語っている。

 日の出町野草友の会からの案内を受けて、日曜日、町役場前庭で開催中の「山野草展」に出かけた。そんなに広くない場所にいろいろな種類の「野草」が展示・販売されていた。

 私は正直なところ山野草にはあまり興味を持たないのであるが、妻は夢中になっている。彼女の趣味の追求に少しでも手を貸そうとの気持ちから時々近県の即売店への運転手役を務めたり、接写用のデジカメを購入したりはしているが、はずかしながら野草そのものに心が向くことがなく、無粋な人間と見られているようだ。

 日の出の会場でも、もっぱらベンチに座りつづけていたのであるが、花と人との動きを眺めているうちにあることに気がついた。それは、まったく見知らぬ者同士が、一つの野草を介してあたかも古くからの知り合いのごとく互いに目を輝かせて育て方の経験談など長い時間をかけて真剣に話し合っていることだった。いわばお互いの苦労話を通じての交流の場にもなっていたのである。

 どうやら山野草に特別な趣味を持っている人たちの目的は、ただ見るだけのものではないらしい。「育ててみる」ことに限りない喜びを感じているということがわかった。名もない路傍の草にも愛着を持つ心を持っていることがうらやましい。

 このところ市民が育てた花々が荒らされる被害が続出しているそうだ。茨城・牛久市では自動車用品販売店駐車場の花壇に植えられていた250本ほどの赤・黄色のチューリップのうち赤ばかり61本が折られた事件、農道脇に植えられたスイセン約100本が車でひきつぶされた事件(宮城県)等々。単なるいたずらあるいはストレスのはけ口とは思うが、近頃気になる社会現象の一つである。

 自然美を愛ずる心を持つ、人間として成熟した民族であり続けたいと思う今日この頃である。


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