No.76 西の風新聞目次
風坊津風情
平成20年2月29日付

「坊津(ぼうのつ)」鹿児島県の薩摩半島南端に位置し、東シナ海に面するところにある地名である。平成17年11月、近隣市町と合併して現在は南さつま市となっている。

坊津は、日本最南端のJR基点駅として有名な枕崎駅からバスで海岸沿いに少し行ったところにあり、日本でもめずらしいおよそ52㎞も続くリアス海岸(海に山が入り組んだ地形)で数多くの景勝地に恵まれたところである。

この坊津に私は何年か前、友人を訪ねて出かけたことがある。この友人は東京に住みながら定年退職後、坊津の風情にとりつかれ東シナ海の見える小高い丘に瀟洒な家を建て単身で住み込み、楽農倶楽部と称するグループのメンバーとして、本人曰く「自然農法」なるものに挑戦していた。そのかたわら町から乞われて教育委員にもなりこの地の子供の教育等の発展に情熱を燃やしてもいた。

友人の家での夜、仲間たちが集まり、はるばる東京から来た私を歓迎してくれて「囲む会」が開かれた。
元JAで果実(密柑等)指導をしている農業委員、40年間教鞭に立ち、現在は町の生涯学習課指導員となっている元小学校教諭、Uターン26年目、町役場で税務、企画、生涯学習、農業委員会、福祉の職場を経験している職員等々多士済々のメンバーが集い、教育論議、町興し論議に夜を徹しての集いとなった。

坊津はその昔には三重の津(安濃津)、福岡の博多(博多津)とともに日本三津と呼ばれ、中国・琉球貿易のへの玄関口の港町として栄えていた。遠く奈良の時代には遣唐使船に乗った唐僧鑑真が上陸した地でもあり、そんな環境からかこの地域独自の子弟教育が盛んに行われていたという。その心意気が参加者の発言に垣間見られたことがうれしかった。

坊津のもう一つの圧巻は、東シナ海に面した段丘に自生する「石蕗(つわぶき」の群生である。町の花にも指定されていて、合併新市となってもそれが引き継がれているというからこの地方を象徴する花なのであろう。

私事にわたって恐縮だが昨夏四十の若さで逝った娘の誕生日花が「つわぶき」だった。花言葉は「困難に負けない」「輝いて生きる」とある。つわぶきの花が咲く頃、今一度坊津を訪れて東シナ海からの心地よい風を受け群生を眺めてみたいと思う今日この頃である。

“いくたびか時雨のあめのかかりたる石蕗の花もつひに終はりぬ”
                                     (斎藤茂吉)

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