No.65 西の風新聞目次
ふるさと考
平成19年5月25日付
 政府・与党は、生まれ育った市町村などに個人住民税(地方税)の一部を納められる「ふるさと納税制度」の導入方針を固めたという。(5月11日付読売新聞)住民税の何割かを現在住む自治体ではなく出身地に納めることを選択できる制度にしようとするものだ。

ふるさとで生まれ育って、税金を納める段階になると都会に出て行ってしまう。教育や福祉のコストを負担した地方が割りを食っているという不満に端を発しているとのことだが、この実現には解決しなければならない課題が多くあって専門家の間では疑問視する声も上がっている。
その一つにふるさとの定義論がある。私はふるさととは基本的には、生まれ育ったところと認識しているが、人間の行動様式は人によって転居が多かったりするなどそんなに単純なものではなく、つまるところ個人の主観が自分のふるさとはここだと決めることになるのだろうと思っている。

私事で恐縮だが、私は、東京・新宿に生まれ、千葉・富浦(現南房総)、新潟・高田(現上越)、東京・三鷹、新潟・村上と転校に明け暮れして小学生時代を過ごした。すべてはあの太平洋戦争の影響を受けてのことであったのだが、このことを私は今、恨んではいない。いやむしろそれぞれの思い出の地の風物、短い期間ではあったが共に遊んだ幼友達の面影とともに印象の大小の差こそあれ複数の地が私のふるさととして心に根付いている。子供時代通過したすべての地を私を育ててくれたふるさととしているのである。各地の友等と今でも交流をして、それぞれのふるさと談議を楽しんでいる。今回の納税論議が単なる自治体間の税収の争奪戦に終わらぬよう願っている次第である。

ここに一冊の印刷物がある。題して「わたしのふるさと」とある。
1990年2月、東京秋川ロータリークラブがその事業の一環として、秋川流域の小学校6年生を対象にわがふるさとに寄せる心情を書いてもらったものである。綴られている子供たちのふるさと論、秋川流域を思う心には胸に響くものがある。私がこの冊子で特に気に入っているところは巻頭言「少年少女が次の世代に大きくはばたくため、最も大切なことは大人の一人ひとりが心して(ふるさととしての環境づくりに)取り組むことではないだろうか。」にある。

 子供たちにいつまでも心に残る「ふるさと」を贈ることは私たち大人の責任だ。


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