No.50 西の風新聞目次
幼稚園の思い出
平成18年6月16日付

少子化対策の影響もあってか、近年幼保一元化あるいは義務教育への取り込み等幼児教育のあり方をめぐってさまざまな議論が飛び交っている。三つ子の魂百までのたとえではないが、幼児教育の重要性は論を待たないところであろう。

私事で恐縮だが、今回は私の幼稚園時代の思い出に焦点をあてることにする。幼児教育を考える材料にしていただければ幸いである。

私が通った幼稚園は、新宿余丁町にあった愛光幼稚園である。(現在はない。)住まいは東大久保(現新宿七丁目)であったので、子供の足では三十分程かかる距離にあった。
近くにも立派な幼稚園があったようであるが、園長が同じ郷里ということで、父や祖父はあえて遠い愛光幼稚園を選んだらしい。

通園はいつも一人で歩いて行った。途中必ずといっていいほど、通せん坊をして先に行かせてくれないからだの大きな男の子がいた。道を変えて反対側の歩道を歩いても何故か現れた。いつかとんでもなく大回りをしたときもその子は私の前にきて通せん坊をしたのであった。

あるとき土で硬いビーダマのようなものを作りそれを見せて相手が不思議がる間にすり抜けたこともあった。幼稚な思考であったが自分なりに工夫をこらしていじめっ子突破策を考えていたらしい。

行き帰りの苦難・悩みはあったものの幼稚園にたどり着けばそこは花園のような所であった。園長先生は母親同様いつも温かく私を包み込んでくれ、園庭で遊び回る友達も多数いた。園長の娘A子ちゃんは私より二つ年下であったが、お茶目な気質の子で何故かいつも私におんぶをねだり、耳元で面白い童謡の替え歌をうたってくれた。

山の奥の薬屋さん白墨削って粉薬、馬の〇〇〇〇〇水薬、ほれこれを飲むヤツ…(以下忘却)
なつかしいのどかな幼少時代の思い出である。

子供の教育の担い手は、第一に親、第二に学校(幼稚園)、第三に地域社会と言われて久しい。幼稚園は幼児がはじめて親もとを離れて生活する人生の記念すべき場である。
幸い西多摩地区には、特色ある私立幼稚園が多数存在していて心強い限りである。

「花はゆっくり咲くがいい」のことばではないが「子はゆっくり育てるがいい」もまた幼児教育を進める上での一つの真理なのかもしれない。


 index        西の風目次 
2002・8・9〜 Produce byIchiro Akami