No.48 西の風新聞目次
歌舞伎の郷
平成18年4月28日付

 日本の「歌舞伎」が二〇〇五年十一月ユネスコから「人類の口承及び無形遺産の傑作(通称・世界無形文化遺産)に選ばれた。日本からは既に選ばれている「能楽」「文楽」に続いてのことである。
この場合の「歌舞伎」は東京や大阪といった都市部で行われる「大歌舞伎」を指しているが、私はこれとは別に日本各地に残る庶民の娯楽としての「農村歌舞伎」もまた大切に保存・継承していく必要性を痛感している
農村歌舞伎の郷といえば関東地方では埼玉県秩父郡小鹿野町を思い起こす。一般成人による歌舞伎のほか子供歌舞伎、女歌舞伎があり、役者、義太夫、裏方にいたるまですべてが地元衆で大げさな言い方をすれば町中が役者ということで全国に響き渡っている。平成十年三月「歌舞伎のまちづくりー潤いと活力のあるまちづくりー」として自治大臣表彰も受章している。
我が西多摩では、あきる野市菅生地区もそれに劣らぬものと私は思っている。
菅生地内を流れる鯉川に追分橋がある。それほど大きくない橋の欄干には菅生歌舞伎に関する絵が5枚(各表裏)掲げられてあり趣のある橋となっている。
 東海大学菅生高等学校入り口の信号付近には組立舞台(東京都指定文化財「菅生の組立舞台」)の資材保存庫があり、追分橋と合わせて歌舞伎の郷の風情を漂わせている。
明治・大正の時代には神社の祭礼時に舞台を組み立て、二宮の地芝居(現在の東京都指定文化財「秋川歌舞伎」の前身)を呼んで上演していた。昭和十年、地域の若者が二宮の師匠に学び自ら芝居を演じたのが菅生歌舞伎の始まりであった。
平成十六年、この歴史ある「菅生歌舞伎」の継承と地域文化の発信を目指す目的で町内会の有志四六人が中心となって「菅生一座」を旗揚げし、平成十七年十月にはあきる野市教育委員会の後援も得て野口正毅邸(東海大学菅生高等学校東隣)において一座旗揚げ一周年記念公演(「絵本太功記十段目」ほか)を実施している。
あいにくの小雨模様であったが、由緒ある会場と地域住民による役者や裏方、子供、お年寄りを含む観客とが一体となり、農村歌舞伎の郷にふさわしい光景をかもしだしていた。
 現代の殺伐とした社会環境にあっては、地域の伝統芸能を通じた人づくりの輪を広げていくことの大切さをあらためて感じている。



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