No.47 西の風新聞目次
ユニフォーム
平成18年4月7日付

 球春到来。選抜高校野球大会に続いてプロ野球も開幕して日本列島は野球一色だ。
 日頃西多摩地域の皆様からいろいろな面でご支援をいただいている東海大学菅生高等学校(あきる野市所在)も選抜大会としては、9年振り2度目の出場を果たすことが出来た。

 残念ながら惜しいところで初戦突破はならなかったが、今年のチームは、ベンチ入りした18名の中に西多摩出身の生徒もおり、ベンチ入りこそ出来なかったものの控えの選手には、地元中学校卒業生が多くいた。指導者(部長・監督)も西多摩の住民でいわば地元のチームによる甲子園出場でもあった。

 私は開会式をバックネット裏で観る機会に恵まれた。前日の雨の影響でグラウンドはやや不良であったが、スタンドからの声援とあいまって実に感動的なものであった。出場32チームは、ライト側よりホームベースにむかって、各チーム選抜旗を先頭に選手が大会行進曲(「青春アミーゴ」)が流れる中、入場してくるのであった。私はこの行進における選手達の直向きさ、真剣さに胸に迫るものを感じ、と同時に選手達のユニフォーム姿にある種の思いをめぐらせた。
野球のユニフォームはシャツ、パンツ、アンダーシャツ、ソックス、ストッキング、帽子、ベルト、スパイクからなっているがこれらを選手達は実によく着こなしていたのである。
話しは少し横道にそれるが、私が最近プロ野球にあまり興味を持てなくなった理由の一つにユニフォーム姿の変化がある。ストッキングが見えないような長いだぶだぶとしたパンツに幻滅を感じているのである。その昔、長嶋、広岡、蔭山の時代、ストッキングが適当に見えてそれがなんともいえない躍動感を伝えてきたものだった。
そもそも野球のユニフォームなるものは、長袖のワイシャツの上に半袖のスーツを着用するようなもので、考えてみれば実に奇妙ないでたちなのである。観客から受入れられ憧れの対象物として成立させるためには、パーツをきちんと着用することにあると私は思っている。衣は自分のためだけにあるものでない。他人にメッセージを伝える大切な道具なのである。                  
甲子園でプロ野球選手のようにスパイクに覆い被さるような、その上上下色が異なる派手なユニフォーム姿でプレーする高校選手を想像するだけでぞっとするのは私だけなのだろうか。


 index        西の風目次 
2002・8・9〜 Produce byIchiro Akami