No.40 西の風新聞目次
鮭の遡上
2005年10月28日付

 あきる野市内、多摩川と秋川の合流点近くの段丘上に前田耕地遺跡がある。私が市教育委員会在職の時、隣接する市立前田小学校の児童達に話をする機会があった。
「皆さんの学校の付近で大昔の人達がサケ(鮭)やクマ(熊)等の陸上動物を獲って暮らしていたことが、ある調査でわかったんだよ。」と話したら児童達はびっくりして聞いていたことを思い出す。

前田耕地遺跡は、住宅都市整備公団による住宅建設に伴い昭和五十一年から六十二年にかけて多額の経費(公団支出)を要し発掘調査が行われたもので、縄文時代の遺構、遺物が多数出土し、その一部は都の史跡に、出土品(石槍残欠共二千二百六十四本他一括)は国の重要文化財に指定されている。
縄文文化は、今から約一万三千年前から約二千三百年前までほぼ今日の日本列島の範囲で栄えた定住型狩猟採集民の文化である。発見された縄文時代草創期の住居跡からはサケ科の顎歯(シロサケの可能性が高い)と、クマを含む強く火熱を受けた陸上動物の遺体(クマ以外の陸上動物の遺体は不明)が出土した。(縄文誕生平成四年度展示解説 東京都立埋蔵文化財調査センター他)
 出土したサケの歯は七千点を超え、サケ八十匹分に相当し、干物や燻製で保存食にしていたことも推定された。(読売新聞平成九年四月十九日付)

 鮭は北太平洋を中心に回遊しながら四、五年かけて成長し、次の世代を残すために生まれた川に回帰して産卵し、その一生を終わる。鮭にとって絶好の生息河川は清流で河口付近から砂礫の川底であることといわれている。(河川文化 日本河川協会二〇〇三年)
秋川や多摩川にも鮭が遡上していたらしいことが調査からわかったが、どうやら縄文の時代には秋川も多摩川も鮭の遡上には格好の環境であったようだ。私の故郷新潟・村上市内を流れる三面川(みおもてがわ)も毎年鮭が遡上する川として有名であるが、先人達のたゆまぬ努力によって築かれ、継承されてきた「愛鮭無限」の鮭文化があり、子ども達に引き継がれることを願い「子ども国際鮭サミット」等も開催されている。
我がふるさとの秋川・平井川・多摩川は住民共有の貴重な財産だ。元五日市町長の栗原昇作先生が秋川に淡水魚水族館の建設をと熱心だったことを思い起こす時、子どもの教育にとって河川文化の活用の重要性をあらためて感じている。

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