No.32 西の風新聞目次
親 今 昔
2004年4月22日付

 いささか古い話で恐縮だが、今年の節分は、病院でむかえることとなってしまった。日頃お世話になっている看護師扮する赤・青鬼をめがけて病棟患者一同「鬼は外」と叫び豆を思い切り投げ、病の痛みを忘れる束の間の時を過ごした。

 豆まきといえば私の子供の頃は父親が中心となって家族で楽しむ家庭行事の一つであった。畳の上に撒かれた豆を自分の歳だけ拾って家族団欒の席で食べあったりして、子供達を中心とした皆の成長を祝ったものだった。時の流れとともに家庭行事を介した親子のかかわりも変化してきている。

 今は故人となられたが、私が尊敬する人の一人に清水恒雄先生という方がいた。先生は当時の秋川市立東中学校校長、同市教育長、同市議会議員等を歴任され地域の教育の進展に貢献された。
先生が教育長ご在任の時、私は「親今昔」「学校・教師今昔」というテーマで先生と気楽に問答したことがあった。その時のメモがノートに残っていたのでそれを二回に分けて紹介することにする。


今回は「親今昔」について。

(今の親)
1子供の衣類は殆ど新調してやる。つぎはぎのを着ている子はいない。
2子供に過干渉なほど手が入る。
3いつでも何でも親が関与する。
4躾が少なく放任で勉強のことはうるさい。
5生活全般各人各様ヒッピー的なものがもてはやされる。

(昔の親)
1子供には古着を与え、子は何でも喜んで着ざるを得なかった。
2兄弟姉妹が多く、放任状態であった。
3放任していたが、ここぞという所は、その子、その子に厳しく、愛情深く徹底して当った。
4家風、一定の躾が厳しく勉強は学校に任せた。
5礼儀作法は、形を大切にした。形から心に入った。

 私はそんな親ではないと反論される読者もいよう。また、現在の社会状況から必ずしも昔がすべて良かったとは言えないことは私としても承知しているつもりである。

「志半ばにして家に帰った子を母が厳しく敷居をまたがせなかった」話が昔あったが、これもまた親の、子への愛情表現の一つとある種の感慨を持つ私でもある。


 index        西の風目次 
2002・8・9〜 Produce byIchiro Akami