No.3 西の風新聞目次
先 生
2002年7月26日付

 「先生」、とりわけ小学校の先生は、両親と共に子どもの成長に大切な役割を担う立場にある。
私は小学校を卒業するまで六回転校した経験があり、すべて戦中戦後の混乱に影響されてのことであった。そんなあわただしい小学生生活であっても、多感な少年時代に、人間形成に大きな影響を与えてくれた先生が多数いる。 

 今回は、その一人、三鷹第二小学校でお世話になった山崎俊子先生を紹介する。
 昭和二十一、二年・三、四年生のことであった。当時、学校は二部授業(児童数の多さに比して教室が圧倒的に不足していたため午前と午後の二回に分けて授業を行うもの)で教室は六十名を超えるすし詰め状態であった。世の状況を見れば、その日の食事もまともにとれず、たまに配給されるジャガイモ等で息をついたり、量を多くするため水分を増やして作ったすいとん等を主食とした正に苦難の時代であった。

 先生方も全てが方向転換した世にあって、恐らく限られた施設、教材を駆使して教室での授業を行うことが精一杯だったのだろうと推察できる。
このような中、山崎先生は夏休み一人で引率して我々やんちゃ坊主を江ノ島へ海水浴に連れて行ってくれたのであった。

 新橋駅で電車に乗り換える時、私たちと同じ年頃の、戦争で両親・家族を失った少年達が大勢駆け寄ってきて、「くれよー。くれよー。」と叫び、物乞いして差し出す青白く細い手が今でも私の脳裏に焼きついている。 

 クラス全員を連れて行ったのか。事故があったらどうする。家庭でやることだ等と議論することはここではやめよう。とにかく先生は教室から飛び出して子ども達を海へ連れて行ってくれ、その行き帰り現実の社会状況に触れさせてくれた。ただそれだけのことなのだった。今でも時々海辺で撮った写真を見て山崎先生を懐かしみ感謝している次第である。

 時は流れ物豊かなそして小学校は週五日制の平成の時代。「完全学校五日制が始まって最初の夏休みを目前に、文部科学省は、教師が自宅研修と称して事実上の夏休みを取ることを厳しく禁じる異例の通知を出した」との記事が新聞紙上を賑わしている。

 先生の休みが増えるだけではないかとの声に、行政そして当の先生自身がどう応えるか。関係者の責任は大きく、その対応が注目される。

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2002・8・9〜 Produce byIchiro Akami