No.27 西の風新聞目次
友は金にまさる
2004年9月10日付

 去る八月六日及び十三日付本紙終戦記念日特集面の「私の戦争体験記(少年時代の記憶から)」はその後思わぬつながりへと展開した。
 
掲載されて二、三日経ったある夕方、聞き慣れた声の男性から電話が入った。「体験記によると赤見さんは終戦直後三鷹第二小学校四年生に在学、担任は山崎俊子先生だったそうですね。実は私もそうなのですよ。」と。

 男性はSさんといって日の出町在住、秋川ロータリークラブで「和縁有りて知る」という会長方針のもと幅広い奉仕活動をしており、入会間もない私は何かとお世話になっている方である。
 私は一瞬自分の耳を疑ったが、生まれた年が同じで、かすかに記憶している当時の友人達の名を挙げるとSさんは全て知っていたのであった。今までそんなこととは知らず毎週一回、お付き合いしているSさんとは、実は小学四年時代のクラスメイトであったということがわかったのである。
 それから数日して、今度は三鷹のSさんから懐かしい電話がかかってきた。五十七年振りのことである。日の出町のSさんから新聞のコピーを送ってもらって私の所在を知り、懐かしくなり電話したという。私の「体験記」が縁となり、三鷹第二小学校旧四年三組のクラス会を近く開催することになったとのことであった。

 私は戦後の混乱期の子供達の遊びの一つであった 「ニラでニラ虫を釣って遊んだ」思い出についても記した。
実はこのことを書くとき少し迷ったことがあった。 「ニラ」で釣るのだから「ニラ虫」と記憶していたのであるが、当時は、サツマイモの葉の茎や、苗を取った後のすかすかしたイモまで貴重な食べ物となっていたあの食糧難の時に、果たして「ニラ」を遊び道具に使えたのかという疑念がよぎったのであった。
結果は「ニラ虫」でなく「にわ(庭)虫」で「ニラに似た細長い雑草を使用しての遊び」だったことがわかった。体験記を読んではがきをくれたかつて職場で机を並べ苦楽をともにしたAさんの一言からであった。

 人間の心の成長あるいは、充実感の達成にとって友の存在は極めて大切なものとあらためて感じた次第である。

「優れた友人は金と銀にまさる。」アグリコラ(一四九四〜一五五五ドイツの冶金学者)

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