No.2 西の風新聞目次
教育は共同プログラム
2002年6月28日付

 五月三十一日付のこのコラムに載せた「子どもの教育は週7日制」について読者からいくつかのご意見をいただいた。話を進める都合上、特徴的なものを二つ紹介しよう。

 その一つは、ある公立小学校の先生からのもの。
「学校教育偏重を改めるため週五日制が始まったということを考えているのでしょうか。子どもの教育は学校だけで取り組むものではないと思います。」 

二つ目は、あるお母さんから。
「子どもの教育はなんといっても学校にお世話になることが多いと思います。五日制では不安です。学校は私たちの願いをもっと真剣に受け止めてもらいたいものです。」

 私が前回言いたかったことは簡単にいえば「常に子どもに目をかける」ことの必要性であって五日制の良否を云々したつもりはなかったのであるが、二人から期せずして関連したご意見をいただくこととなった。

私はこの声を聞いた時、公立学校の五日制完全実施を契機に子どもの教育のあり方について、学校と親たちがもう少し意見交換する場面を持つことの必要性を強く感じたものである。

ところで、子どもの教育は、誰が当事者としてその責任を果たすべきなのであろうか。

 世の大多数の親たちは「一に学校、二にも学校」と思っているのかもしれない。親たちの学校に対する期待度の表われだろう。

 考えてみれば我が国が明治五年の学制により近代的な学校制度を確立し、戦後の大改革を経て今日世界に誇る学校制度を持つことになり一定の成果を上げてきた経緯からすれば親の学校への期待もまた当然のことといえよう。

 一般的に子どもの教育は「家庭、学校、地域社会で」といわれているが、とりわけ「家庭(親)、学校」の果たす役割は大きい。
いうまでもなく子どもの教育(人づくり)は、部品をそれぞれの担当者が作ってそれを組み合わせて仕上げる物作りとは全く異なる仕組みから生み出されるものである。

 近代社会はとかく担当分野が分化していく傾向にあり、学校の現場もまた然りである。それぞれ分化し専門性を高める意義は認めるとして人間全体を総合的に見る視点を失ってはならない。
 子どもの教育は親(家庭)と専門家集団(学校)との総合的な共同プログラムのもとで時間を超えて進められるべきものなのである。
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2002・8・9〜 Produce byIchiro Akami