No.17 西の風新聞目次
地域文化とともに
2003年12月5日付

 今年の十月、東海大学菅生中学・高等学校の文化祭(菅生祭)が生徒・教師は勿論のこと父母達の参加もあって盛大に行われた。今回は加えて「地域交流事業」と銘打って地域の人々の参加もお願いすることができた。
 
 主内容は菅生中学・高等学校が立地するあきる野市菅生地区及び同二宮地区に伝承されている「菅生の組立舞台」と「秋川歌舞伎」の公開であった。前者は東京都有形民俗文化財、後者は同無形民俗文化財に指定されている。

 多摩地域が農村としての特色を色濃く残していた頃には各地に「農村舞台」そしてそこで演じる獅子舞、浄瑠璃、剣舞、歌舞伎等の集団が存在していた。その後都市化の波等により多くが消滅したが、前記の二つは変貌著しい首都東京にあって現在まで地域住民の努力により保存されている。
 
 「組立舞台」とは大部分の舞台が一定の場所に建造された固定式の建造物であるのに対して常にはその素材を解体して貯蔵し、必要な期間だけ任意のところに組み立てて使用し、用が済めば解体して元の場所に貯蔵しておく舞台をいう。(金山正好著「多摩の農村舞台」昭和五十一年三月)

 菅生地区には、正面の間口が八間(約十三メートル)と五間(約九メートル)の二組が保存されており、地域住民総出で荒縄一つで組立てる様は圧巻である。

「秋川歌舞伎」は、二宮神社に奉仕する農民の神楽師によって祭礼の余興芸として始められた農村歌舞伎で明治時代中頃に始められ、大正時代に全盛を誇っていた。(東京都教育庁発行ポストカード 二〇〇一年十一月)
 その後衰退の道をたどっていたが、平成四年九月から始まった学校週五日制を受けて学校外における児童生徒の健全育成の一環として、子供歌舞伎として発足、以来三十数回の公演を重ね今日に至っている。
 
 「菅生祭」ではこの二つの文化財が同時公開されたのであるが、大人達に混じって小中高校生達が立派に歌舞伎を演じ喝采を浴びた。

 歌舞伎で育った子どもたちは今、大学生となり勉学に励んでいる者、遠くイタリアで職業技術を学んでいる者等立派に成長している。歌舞伎に興ずる我が子の世話をしている内に、自らも役者となってしまった親もいて微笑ましい限りである。

 地域の温かい伝統文化に抱かれて育つ子ども達のすばらしさをつくづく感じている次第である。
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