No.13 西の風新聞目次
カブトムシ
2003年8月8日付

 我が家で飼育しているカブトムシの幼虫が今年もまた羽化した。長めの梅雨による低温の影響を受けたのか昨年に比べ数日遅れてのことであった。
 菅生学園では「自然が教科書だ」を校是とする中学校、高等学校が立地するあきる野市菅生の敷地内に五月、千匹以上の幼虫を放ったのであるがそれも毎朝着実に成虫となっている。 また、西多摩地区内公立小学校五十五校の小学生達のために幼虫五匹入りの観察セットを贈呈させていただいたので今ごろ教室の片隅で生れていることだろう。

 思えば私の少年時代は、近くの山へ「塹壕ごっこ」と称して友人達と毎日のように出かけ、遊びに明け暮れしたものであった。
 山の急斜面には山栗の木が群生していてマムシを警戒しながら木の実やカブトムシ等の昆虫取りに熱中した。
 ある日の夕暮れ、家の前の路地を悠然と低空で飛行するギンヤンマと出くわした時、子どもながら少し先で必ずターンして戻ってくると知っていたのでその対峙に胸をときめかせたこともあった。
 集めたカブトムシは家で手厚く飼育し、友人達と互いに見せ合い楽しんだ。このふれあいを通じて自然の不思議さを知りその死に接し、命のはかなさや大切さを学ぶことが出来たのかもしれない。

 「死んだカブトムシを持ってきて電池の交換法をたずねに来た子どもがいた。」との信じられないような話を聞いたことがあるが、笑い話に終わらせたくないものだ。
 科学の発達で便利社会を享受するあまり私達は何か大切なものを忘れてしまってはいまいか。機械化の進展とともに生物たる人間そのものも「機械」と化してしまったのではないかと思わざるを得ないこともある。凶悪化が目立つ少年犯罪の頻発もこのことと無関係ではあるまい。
 後戻り出来ない機械文明謳歌の世にあって今一度子どもの教育のプログラムづくりを親たちも学校も地域社会も真剣に取り組む必要があろう。

 我が家を訪れた箒売りの行商人が目敏く玄関先においてある飼育箱のカブトムシを見つけ、孫にこれを譲ってくれないかと乞うてきた。
 私は、箱に二匹入れその男に手渡した。見知らぬ子どもの喜びの顔、男と孫の笑顔の会話を想像しながら。
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2002・8・9〜 Produce byIchiro Akami