No.104 西の風新聞目次
夜長余話
平成21年12月11日付

 私たちがいろいろなことを知るためのなかだちをするものを「媒体(メデイア)」というが、その代表格がマスメディアの新聞・テレビだろう。近年、電子媒体の発達により情報確保に関して私たちのまわりで変化が起っているが、なんといっても王様は活字文化の守り手「新聞」、女王は「テレビ」と私は思っている。
 新聞を読むとき特に楽しみにしているのはコラム欄である。読売でいえば「編集手帳」朝日「天声人語」毎日「余録」本紙「大多摩反響」などである。何故ならばそこには、時の話題を題材にした「人間臭さ」に満ちた表現があるからだ。社説や単なる記事ものとは異なり、読後にも何ともいえない余韻が残るからである。
 「編集手帳」(11/26)に次のような主旨のことが掲載されていた。
―戦後の金融界に君臨し「法王」の異名を取った一万田日銀元総裁が、昭和25年に「国の貴重なカネを貧弱な国産メーカーにつぎ込んでも意味がない。乗用車はアメリカに依存すればいい。」という発言をした。もしこの考えが当時の国の政策で実現していたらトヨタやホンダなど日本を代表する企業はいま、影も形もなかっただろう。―
 現在国民の関心事となっている政府・行政刷新会議の事業仕分けによる科学技術予算、例えば「スーパーコンピューター」予算の凍結などと厳しい判定が続くことに対し、ノーベル賞受賞者野衣氏が反発して発言した「歴史という法廷に立つ覚悟はあるのか」にある「歴史という法廷」が現在開かれるとすれば、時の一万田提案は、「暴論」とされ「有罪」となるのだろう。(刑期知らず)
 事業仕分けの目的は、既存の予算であってもそもそも必要な予算なのか、ゼロベースで見直すことにあるが、この場合「そもそも必要か(無駄なのか)」を判定する人の資質に左右されることが気になる。政治家はおしなべて即座の効果を求めたがる習性かあるようだ。事業によっては(たとえば教育・科学振興事業など)現時点では無駄と思われることもまた必要なのだと晩秋の夜長に大相撲千秋楽で大関魁皇が勝ち越し決定のTVを観ながら思った次第である。

 index        西の風目次 
2002・8・9~ Produce byIchiro Akami