村上市史写真展 村上広域情報誌2001

明治から昭和30年代までの人びとのくらし
            資料提供:村上市郷土資料館

                 交  通





三面川鉄橋(大正末期)
三面川に架かる鉄橋上を、上海府から村上方面に向かう蒸気機関車が走る。
鉄橋の下には帆掛け舟が係留され、水浴びをしている子どもたちが見える。

 交通の発達は、経済流通の発達と不可分ではない。明治時代を迎えると、家内的手工場から脱皮し、機械化された生産体制となり、より多くの物資を運ぶことがなされ、海運が栄える。が、やがて鉄道がしかれると危険度の多い船舶輸送は衰退し、列車による運輸となる。そのころ航空機はようやく緒についたばかり、しかも軍用が主だった。トラックによる物流もこのころは短距離輸送がhじょとんどであった。



上海府地区を走る蒸気機関車(昭和45年)
洗濯物がかけられ、石置き屋根や茅葺き屋根などの家屋が並ぶ集落の中を、蒸気機関車が走る。火の粉が屋根に飛び移り、火災をおこすことがしばしばあった。



新築になった村上停車場(大正3年)
新発田から村上まで鉄道村上線が開通した。この写真付近一帯は茶畑が広がっていたところである。これ以降、駅前には田端町ができるようになる。



瀬波河口に係留する天渡船(大正中期)
当時はこのような2人乗りの小型船で、南は新潟、北は酒田、あるいは北海道まで商いにかよっていた。



粟島内浦(大正末期)
海の大部分は、昭和39年の大地震で隆起し陸地になった。小さな漁舟と舟小屋が多くつらなり、漁業で賑わっていた島を想起させる。



築港が始まった岩船港(大正5年)
岩船築港事務所が設けられ、岩船港の築港が始まる。



瀬波温泉上空にアプロ機(昭和9年)
下越タイムス社主催でおこなわれた岩船郡飛行大会。着陸場所は瀬波温泉であった。



落下傘降下の刹那(昭和9年)
瀬波温泉上空を旋廻したのち、落下傘で降下。見物の観衆をわかせた。



舞鶴軍港(昭和20年)
第2次世界大戦が終結し、復員者を乗せた引揚船が接岸した様子。上部の建物は兵舎である。


羽下ヶ淵橋渡り初め(大正9年)
明治時代には、まだ大きな川に橋はなく、渡し舟で行き来をしていた。瀬波を羽下ヶ淵を結んでいた渡しは、現在の鉄橋のすぐ下流にあった。



岩船石川河口と明神橋
明治時代の図であるが、広々とした石川河口付近に細く長い明神橋が描かれている。


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新潟県村上市・岩船郡7市町村 月刊デジタル情報誌 2001年1月1日創刊 ムラカミ21ドットコム
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