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  文化財探訪  No.                   
               国指定重要文化財
                     浄 念 寺
                                  新潟県村上市寺町3-13


                            桑原 猛 (越後村上城下町まちなみの会事務局)

 村上市はお寺の多い町です。そのなかでも特に異彩を放っているいるのが、国の重要文化財に指定されている浄念寺本堂です。


 この浄念寺の歴史は古く、俳人の松尾芭蕉も奥の細道の道中に、この浄念寺(当時の寺名は泰叟寺といった)に参詣しています。その後、六代将軍徳川家宣と七代家継に使え側用人として幕閣の中心にあった間部詮房が、享保二年(1717)に村上城主として高崎から移りますが、そのとき浄念寺を菩提寺としました。享保五年に詮房は村上で亡くなりこの浄念寺に葬られました。間部家は詮房が亡くなるとすぐに越前鯖江へ移封となり、内藤氏が大阪から村上に移りました。
 
 浄念寺は文字通り浄土宗寺院で、重要文化財に指定されている本堂は、文化十五年(1818)に建築されたもので、その最大の特徴は土蔵造りとしていることです。この土蔵造りとは、外壁に土を厚く塗ることによって内部のものを火災から守ることを目的としていますが、江戸のような都市部では頻繁に火災が発生したため、都市の防火性を向上を目的に江戸時代中頃から町家や寺院・神社などにも土蔵造りが奨励されるようになりました。
 

寺町から小町へとつづく小道

 しかし、江戸以外の地方都市ではあまり土蔵造りの寺院や神社建築は流行すらなかったのか、ほとんどみることはできません。村上城下もその例外ではなく、浄念寺本堂と同間部詮房の御霊屋を除き土蔵造りの寺社建築や町家はありません。
 建築された当時の村上城下では大変珍しい建物であったと思われますが、この浄念寺本堂の建立にあたっては、浄念寺の所蔵の記録・文書によると江戸において建設計画が行われたことがわかります。

 浄念寺の建設にあたってときの住職は越前鯖江間部家にも建設資金の援助を申し出ていますが、この間部家の家臣と内藤家の家臣とが、江戸藩邸においてたびたび打合せをしていることもわかります。このときの設計図面を引いたのは、やはり当時の江戸の大工でした。このようなことから江戸で流行っていた土蔵造りの寺院建築が、直接的に村上城下にもたらされたのではないかと考えられます。
なお、浄念寺本堂には、土蔵造りの他にも外観を二重とすること、内部の中央を吹き抜けの空間として丈六の仏像を安置していますが、これらの特徴も土蔵造りと同様に江戸の流行が伝えられたものと考えられます。



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