村上市史写真展 村上広域情報誌2001


    町 並 み

            資料提供:村上市郷土資料館

明治から昭和30年代までの人びとのくらし



 石置き屋根の連なる町屋、茅葺きの武家屋敷、今となってはなつかしい風景である。台風のとき石が落ちてきた、茅が抜けて夜空が見えた話題があちこちで聞かれた。住宅状況はずいぶん不便であった。昭和30年代後半から薪から石油へ、井戸から水道へと、しだいにうつり変わり、台所も風呂場も改善され住宅の屋根は瓦やトタン葺きが多くなった。





村上貯蓄銀行(大正期)
現在の小町益田書店付近から小町を望む。右手の道を入ると小町坂にいたる。この人たちは銀行員だろうか。全員和服姿で前掛けをしている人もいる。




賑わいを増す駅前通り(大正初期)
鉄道の開通と共に、かつて茶畑だった周辺も開発が進み、賑やかになっていった。中央に見える村上物産陳列館では地域の特産物が置かれた。



大町通り(昭和初期)
手前に見える長郷商店には、ショーウインドーがあった。その隣の洋風建築は村上郵便局。松の木は今も残る。



臥牛山から見た村上市市街
(明治40年)
まだ茅葺きの家がいくつも残る。中央に見えるのが村上小学校本町校である。



臥牛山から見た村上市市街(昭和5年)
手前の大きな建物は村上中学校。左奥には製糸工場の煙突も見える。



子どもが遊ぶ吉浦(昭和33年1月)
曲がりくねった道に沿って川が流れる。路上では綿入りを着た子どもたちが遊ぶ。はきものは皆、下駄・ぞうりである。



浜新田の石屋根(昭和32年)
このころの村上周辺の村落は、まだ石屋根か茅葺きの屋根が主体であった。


明神橋(明治45年)
まだ木橋であった。昭和8年のかけ替えで鉄筋コンクリートの永久橋になった。岩船方面から石船神社方面を望む。


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