六三三制の発祥の地 
                 関 谷 学 園 
                        現関川村立関小学校
                             
新潟県岩船郡関川村下関

 今、中高一環教育を村上地域では、県立村上女子高等学校で平成14年4月から開校されます。
教育改革や学校の統廃合、週休2日制導入など学校教育環境は激しく変化しています。
行きたい学校、学びたくなる学校づくりを目指して、行政・親・地域が一体となって検討しなければならない時です。
村上地域には、学校づくりのすばらしい歴史がありました。



日本の6・3・3制を先導したわが国唯一の実験校
         関 谷 学 園

 関谷学園は、我が国に基になる新教育の研究という大きな課題の解決に取り組むために文部省から指定された6・3・3制を先導する教育の実験校であった。関谷学園は、現在に関川村立関小学校の敷地にあった。
 関谷学園の設立は、教育基本法及び学校教育法の制定(昭和22年3月)より9ヶ月も早い昭和21年7月2日である。
 当時、文部省の教育研究所は、前途の新教育の再教育という目標達成の方策として、6・3・3制の実験校を都市部に一校、農山村部に一校、漁村部に一校の計三校を指定し、新しい学校教育の研究する計画を立てた。関谷学園は、全国の農山村部の代表として設立されたのである。
     「岩船郡村上市新学制小学校50年史」より





現在の関小学校


栃木師範学校教授・女子部長佐藤仙一郎(関川村安角出身)は、昭和20年初冬、教育研究所主任所員城戸幡太郎と関東地区師範学校教員の集会で日本の新教育について語り合い、実験校設立地として故郷である関谷村(関川村)を紹介した。
 翌年1月、城戸・佐藤同道で当時の村長渡辺万寿太郎を訪問、6・3・3制の実験校としての学園構想を披露した。城戸と渡辺は東京大学の同窓であることがわかり意気投合、学園開設へむけて発進することになった。
                   「関川村史」より

 「関谷学園資料編」を平成11年3月に発行した前関小学校教頭大滝友和氏は、エピソードで
 「編集を終えて、関谷学園の資料を読み返すときに、一番に感嘆することは“関谷学園の教育に、なんと大きな夢を持っていたことか”ということである。当時の園長初め多くの教師の熱くたぎる心意気というか、快いすがすがしさというか・・・に圧倒された。
 無から有は生じないが、無であったればこそ、有を生ずるための工夫・創造性が要求される。そして、子ども達の手応えが結果としてあれば、それこそ教師のやりがいを得られる。
 私は、関谷学園のことに、そして、当時の教師たちの心に、これからの自分の仕事の中で、ときどき思いを馳せたい。」

関小学校の校庭に建つ発祥の地の碑

今は珍しい二宮金次郎の碑
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