2017年6月号
  リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.191



ねん ねん おうかん
鮎 鮎 往 還



横田 謙輔
(よこた けんすけ)
1938年
  町立岩船尋常高等小学校入学
雅号 素山
東京・村上市郷友会筆頭相談役
東京都小平市在住




筆 者






東京村上市郷友会主催「三面川の鮎を食べる会」にて
一列目右から2人目筆者







三面川の鮎つり


 私の古里は岩船である。古来、日本海岸の漁港で「いわふね産藩米」の積出し港でもあった。
 砂山に立てば、西方に冠雪した佐渡ヶ島の金北山が見える。南方には角田山と弥彦山を望み、新潟港を見る。東方には飯豊連峰を遠望。手前の松林には白鳥の飛来する「お池」と「お幕場」を見る。北方に粟島(室町初期の「義経記」には「青島」とある。岩船では「アオシマ」という)と温泉の湯煙りと三面川の河口が見えるが、岩ヶ崎の先は遮られて視えない。
 真冬は怒濤逆巻く海も、初夏にはさざ波の立つ穏やかな海へ変貌を遂げる。子供の時分、磯辺で二人組になって白布で掬うと小魚がよく採れたものだ。対面は何時も決まって二つ上の従姉だった。そこには鰯や鮭や鮎の稚魚が混じっていた。
 鮎はサケ目アユ科の回游魚である。川の流れに逆らって上るのが三・四月頃で、やがて解禁を迎える。この頃は海産性プランクトンから食性が変わり川底の小石の表に生えた藻類を食べて成長する。初夏には10~20Cm迄成熟する。藻類を餌とするので魚肉は特有の香気を帯び別名を「香魚」と云い、食文化の上で「夏は来ぬ」の詩情がそそられる所となる。この頃から魚は餌場に、よそ者が侵入しない様に自分だけの「縄張り」を作るようになる。釣り人が操る「おとり鮎」を狙う「なわばり鮎」を鉤に引っ掛けるのが「友釣り」の漁法である。九~十月になると魚は成熟し産卵のため群れて下流に降る。「落鮎」とか「錆鮎」とか言う。産卵は夜八時頃に行われる。産後の鮎はたった一年のいのちを終える。「年魚」と云われる由縁である。
 卵は二週間程で孵化する。稚魚は河流に運ばれ海に出る。鮭と似て孵化後の鮎は6mm程度で腹には卵黄をぶら下げていて、数日間は養分がとれる。以来、鮎は六~七ヶ月と海暮しが永く動物性プランクトンを食餌として生きる。砂浜の舟も入れない波打ち際が鮎の成育場所になっているようである。また、最近の研究では川住まいの時も海住まいの時も鮎固有の香りは体内酵素の作用に依るものと説かれている。
 辰巳浜子先生の「料理歳時記」に「子供の頃瀬波温泉で食べた鮎が少女にはちっとも美味しいと思わなかった」と。一方、「三面川の落鮎を素焼きにして半干しにしたものの煮浸し、これは天下一品で大好きでした」と在る。鮎に「旬」在り。折折の味わいを人々に届けてくれる。この様な魚が他にあろうか。「年魚」がこのかなしみを贈ってくれる。
 越前に曹洞宗永平寺を開山した道元禅師の著した「典座教訓」に引用された「禅苑清規」に、「食事を作るには季節に従って春夏秋冬折々の食材を用い食事に変化を与え、気持ち良く食べられ、心身共に安楽になるように心掛けねばならない」と言っている。
 岐阜日日新聞社主催の全国工務局長会議後に訪ねた長良川の鵜飼。友人と行った宇治川の鮎懐石。九州は客人歓待のための球磨川の鮎懐石。義兄石井和夫と尋ねた三面川の梁(ヤナ)で採れた落鮎の塩焼き。
 今は残り香を偲ぶのみである。

 東京は三鷹台地の「ライフコミューンつつじヶ丘」にて筆を執る。

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