http://www.murakami21.com 村上広域情報誌2001
2011年7月号
  リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.121


浜なすに寄せて
佐藤 則子
(さとう のりこ)
昭和35年 砂山小学校卒業
昭和41年 村上高等学校卒業
東京都公立小学校を平成20年3月退職
東京都在住




トルコ・カッパドキアにて筆者
2010年8月








砂山小学校(現在の)

   潮かをる 北の浜邊の砂山の
   かの濱薔薇(はまなす)よ 今年も咲けるや
                  石川啄木 「一握の砂」より

 小学校は当初海の近くにあった。砂防のための松林が間近に広がり、潮鳴りと松籟の聞こえてくる学校だった。
 先生が、子供達を浜辺に連れていってくれることもあった。粟島が間近に見える砂浜で、足を砂だらけにして遊んだ。なだらかに起伏する砂丘には、所々に浜ぐみや浜なすなどの海浜植物が群生していた。そして初夏になると、刺だらけの藪のように見えていた浜なすの繁みに、芳しい香りの花が、明りを灯したように咲いた。その優しく、鮮やかな花の色は、彩りの少ない浜辺の風景の中で際立っていて、子供ながらも惹かれるものがあった。
 今でも、旅先などでこの花を見かけると、故郷の浜辺の潮騒の音が聞こえてくるようで、思わず足を止めてしまうのである。

 私が育ったのは、旧神林村である。音を立てて流れる荒川の清流、稲架掛け(はさがけ)のためのあの独特な形の木が畦道に並ぶ広々とした水田、松露や野うさぎを育んだ美しい防砂林と、その向こうに広がる日本海が、子供の頃の故郷の原風景である。

 高校は、村上高校に通った。村上の町は父の実家のあったところで、二之町に住んでいた叔母には何かとお世話になった。冬の夜、叔母の家で百人一首をしたのも、温かな思い出である。
 高校では登山部に入部した。トレーニングはお城山で行われた。あの七曲を山頂まで駆け上がるのであるが、時には重いリュックを背負い、喘ぎながら登ることもあった。山頂で汗を拭いながら眺めた風景が、今も脳裡に浮かぶ。
 誰の胸にも、未来への夢や期待がいっぱい詰まっていた。お城山の広い空は、そんな若い夢を羽ばたかせてくれたところでもあった。高度成長のもと、東京オリンピックが開催され、国中に明るい高揚感の漲っていた時代である。
 「あの光るのが 三面川・・・」と、誰かが「千恵子抄」の一節を真似て言ったのが、昨日のことのように思われる。皆よくしゃべり、よく笑う、気のいい仲間たちだった。彼らと共に汗を流し、自然豊かな越後の山々を歩いた日々は、心に深く刻まれている。
 人生の最も多感な時期に、のどかな城下町で学び、よきクラスメートや山の仲間達に出会うことができたのは、本当に幸せなことであった。あれから長い歳月が流れたが、あの頃のことは、一際明るい光芒を放って、私の人生を満たしてくれている。

 今、あらためてこの大震災で失ったものの大きさを思うとき、故郷の美しい山河が、懐かしい人々の営みがそこに在ることが、しみじみとありがたい。それだけに、被災地の一日も早い復興を切に願うものである。


リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)
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