リレー随筆「鮭っ子物語」  No.32
未だ故郷に遡上せず
 
 故郷は村上から北へ20キロ山奥の山村僻地、敗戦の歳の昭和20年の冬は大雪だった。まるで雪国紹介の絵のように1階の障子窓は雪でふさがれ、家の中は昼でも薄暗く、外に出るには雪の階段を上がったものだった。村上を「マチ」と呼び、大町、小町の通りを初めて歩いたときの眩いばかりの町並みの記憶は今も忘れない。何よりも羨ましかったのが映画館が3つもあることだった。

 岡春夫の“憧れのハワイ航路”があちこちから聞こえていた昭和25年頃のお盆のこと。東京の出稼ぎから帰った近所の次男が、マドロススタイルで、村のあちらこちらを歩いて村人達の度肝を抜いた。その頃農閑期の冬は、青年団の演芸会が盛んで、流行っていた歌にそれぞれの思い思いの振り付けをしたもの、股旅物、寸劇など、スピーカーの大音響は村中に鳴り響いていた。さらに小学校の講堂で5〜6集落の代表が競った青年団演芸大会もあった。マドロスの彼は東京から何か新しいものをもってきたのではなく、演芸会から抜け出してきたのがそのスタイルだった。

 この山村には自由と民主主義と文化の匂いは皆無に思えた。それは都会でなければ実現しないように思えた。カタカナ英語が強烈に新鮮だったが、ローマ字を知っているのは2軒先の郵便局長さんだけ。
 「自分は何のために生まれたのだ。何処へ行くのだろうか」。小学校6年生の夏、家のキュウリ畑の中でふと考えた少年のこの疑問を、母方の祖母の家に下宿していた中学の先生に打ち明けた。それは人生観とか世界観というもので「君が一生かけて追求する課題だ」と長文の手紙を戴き、何回も読み返し、感激した覚えがある。

 農地解放で激変しつつあった村で「百姓をしていれば間違いない」という言葉をよく聞かされた覚えがある。それは激変にどのように対応してよいのか解らない、先が読めない状態が「百姓をしていれば間違いない」という言葉になったのだ。もう一つは、私が中学生になり、そろそろ進路が話題になり、祖母や母の農家の後継ぎを願う気持ちが「百姓をしていればまちがいない」という言葉にもなったのだろう。

 戦後の歴史のなかでは村とは遅れたところ、歴史から取り残されたところ、古い因習が残っているというイメージとともにあった。今も多くの人々はそう思っている。子供に教育を受けさせ、村の生活から脱却して都会型人間に移行することは進歩であり出世である。東京で給与生活を送っているものがどんなに貧困であっても正月やお盆に山のようなお土産をもって車で帰ってくる。それが村出身の立派な青年の姿だった。ついこの間まではそうだった。
 少年にとって空虚でしかなかった故郷。そこで百姓をすることなどさらさら無く、自己実現などという形容詞をつけた夢を追って演劇界を目指したが、階段を半分上り詰めたところで“右眼若年性眼底出血”で挫折。大工手伝い、吉原の「おいらんショー」のマネージャー、家電業界紙の記者、運送会社の配車係、婦人靴小売の店舗開発、時計・宝石屋の組合の事務局員。結果として腰掛け仕事、仮住まい、いつまでもモラトリアム人間。

 あれから半世紀。農山村という言葉に自然が豊かなところ、縄文からの人間の知恵が生きていると、魅力的なイメージを抱く人がふえてきた。都会のサラリーマンに絶望して山村に移り住んだ者も珍しいことではなくなった。
 より自由な仕事を探そうとして都会に出て行った自分たちの世代は何であったか、「仕事を選ぶことによって得られる自由よりも、自分の手で仕事をつくりだしながら生きるほうがずっと自由だ」、都会という場所に、もはや自由はなく、田舎にあるという。
 
 この夏、決断に迫られていながらも踏み切れないで7百坪の畑に立った。“終の棲処”にと10年前に買った土地だが、ここ3〜4年、同じことを繰り返している。永くない人生の第3ラウンドに向かって何かを探している。それは何か、半透明の先が見えない独眼を瞬かせている自分。大須戸の川から下った稚魚は老境となっても、未だ日本海でうろうろし、三面川の河口を見え出せない。
                 
リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)




中山 敏彦
(なかやま としひこ)

 昭和26年3月塩野町小学校卒業
 川崎市麻生区在住








塩野町中学校3年の夏









劇団新制作座「フェステバル」の舞台
1〜2ヶ月の巡業を終えて帰ると、中・高校生からのファンレター20〜30通入ったボール箱を渡された。3年程続いたが眼病で入院生活後,退団










「阿波踊り」
網走から鹿児島までほとんどの都市で公演したが、村上での機会はなかった。














































次回予告
関根 洋子(せきね ひろこ) 
昭和26年3月 村上小学校卒業
現在東京都文京区在住

表 紙 | WEB情報 | サイトマップ | バックナンバー | 検索・リンク 
発行:デジタルショップ村上
新潟県村上市・岩船郡7市町村 月刊デジタル情報誌 2001年1月1日創刊 ムラカミ21ドットコム
(c)2001-2004murakami21.com All rights reserved
Produce by Takao Yasuzawa