村上市史写真展 村上広域情報誌2001

明治から昭和30年代までの人びとのくらし
            資料提供:村上市郷土資料館

           人  物


同級生(昭和3年)
それぞれ職業によってまったく違った服装をしている。
ひげをやはしている人が多いのは、当時の流行だったため。


 写真機の普及していない時代、説目の祝い事には町の写真屋に撮影してもらうことが多かった。が、それは一部階層の人びと。大衆にはまだ、記念写真などは及びもつかなかった。写真機の性能はまだ未完成、撮影のときは必ずボンと大きな音を立てるマグネシウムを焚かなければならなかった。その音と光に驚き写される方は、いきおい緊張せざるを得ないものだった。35ミリカメラも現在のように普及していず、それを趣味とする人も少なかった。 


幕末村上藩国分一穂の洋式軍装姿(慶応3年)
江戸藩邸での軍事調練の服装と思われる。
珍しい写真である。

瀬波消防組(大正5年)
瀬波は明治18年の大火災以来、消防設備と組織の充実に努めた。前から2列目、右から3人目が組頭でその隣から警察署長と町の有力者であろう。


村上町巴座(大正4年)
村上大町十輪寺北隣に建築された劇場で、手動式周り舞台を備えていた。


大正期の子ども(大正2年)
裕福な母子であろう。
袴着のとき撮影したものか、男の子には角帽をかぶせ、立身出世を願っているようだ。


遼陽占領祝賀の武者行列(明治37年)
日露戦争で日本が遼陽を占領した記念に行われた村上本町の人たちによる武者行列。


村上駅(昭和33年8月)
ワンピースに下駄といういでたちの女性たち。日よけの饅頭笠を買ってきたのだろうか。村上に買い物に来た主婦であろう。ニッカズボンにハンチング帽姿の男性は、土建業者のように見える。


モミガラ焼き(昭和33年11月)
秋、稲の収穫が済んだ後のモミガラ焼き。孫をモミガラを入れた袋に乗せ、破れ蛇の目傘を風除けにする。すでに忘れ去られた風景である。


村上大祭(昭和32年7月)
村上大祭の見物に来た祖母と孫。祖母はもんぺ姿に風呂敷包みを担き、孫がはぐれないようひもでつないでいる。笑いがさそわれるような写真である。


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新潟県村上市・岩船郡7市町村 月刊デジタル情報誌 2001年1月1日創刊 ムラカミ21ドットコム
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