赤見市郎 旅日誌 2002〜2003


東京都市町村職員年金者連盟あきる野支部総会
平成15年5月21日(水)〜22日(木)
宿泊地  新潟 月岡温泉

写真 左 会津鶴ケ城前にて
    下 寺泊港にて
    (マイデジカメにて
     右は岩浪正一郎先輩撮
     左は小峰ユキヨ先輩撮)

市役所 旧五日市役場先輩職員及び阿伎留病院元看護婦さん達多数集まり旧交をあたためた。



「ウィーン」にて 2003年3月10日(月)〜15日(土)
東海大学菅生高等学校吹奏楽部ウィーン公演応援鑑賞の旅   
吹奏楽部(1,2年生部員65名)が堂々と演奏した会場(コンツェルトハウス)の模様。演奏中の菅生高校吹奏楽部。

コンツェルトハウス(Konzerthaus)
1913年完成。ウィーン交響楽団の本拠地。
大ホール、モーツアルトホール、シューベルトホール他合計5つのホールがある音楽の都ウィーンの著名なホールである。
今回菅生高校は大ホール(3階まである)でほぼ満員の観客の中で演奏会を行った。

その公演の応援団(父母、一般公募による市民)
として24名が参加した。
ウィーン職業料理学校を訪問、見学。
世界遺産に登録されているシュテファン寺院の近くにある。

あいにく校長先生は出張中で不在であったが代理の先生の親切な案内で学校の様子を見学できた。
おりから日本人の若い女性達のグループがお菓子作りの勉強をしていた。
ドナウ川ほとりのTV塔(高さ約170m)で夕食。

ドナウタワー(Donauterm)
最上階のレストラン(レストラン全体がゆっくり回っている)でウィーンの夜景を楽しみながらウィーン料理を楽しむ。
写真は入り口で店の人に写されたもの。
(7ユーロ?)
シェーンブルン宮殿(世界遺産登録)にて




ウィーン南の森を訪れる。

古城(リヒテンシュタイン城)にて。
帽子(チロルハット)は現地で購入(35ユーロ)。
 
他に映画「うたかたの恋」で知られる皇太子と愛人の悲劇の舞台マイヤーリングの修道院も訪れた。
東海大学菅生高等学校父母の会(平成15年5月19日)発行「菅生」Vol.27 特集号掲載文
  歓声、拍手渦巻く中でー吹奏楽部ウィーン公演随行応援記ー   赤見 市郎
 3月、ウィーンの冬の夜の寒さは格別であった。にもかかわらず1800人収容するという3階まである客席を持つコンツェルトハウスはほぼ満員になっていた。登場した部員達は緊張の色を隠せなかったが、温かい拍手に促されて演奏が始まった。
 さすが世界的に有名な音楽の都、モーツアルト、ベートーベン等音楽家ゆかりの地、ハイレベルの演奏会をはじめ毎日のように町のどこかでコンサートが行われている土地柄とあって、事前に得た情報によると人々の耳は肥えている、レベルの低い演奏には反応しないとのことであった。

 確かに彼らは演奏曲によって拍手の仕方に違いがあった。共感できる場合は歓声をあげて拍手する。そうでない場合はただ儀礼的な拍手に終わるようであった。
 心配をよそに演奏が進むにつれて部員達も少しは緊張がほぐれてきたのか客席との一体感を保てるようになり、フィナーレ・アンコールに応えた演奏の後には歓声と拍手が渦巻き、会場全体が熱気に包まれ、しばらくの間席から立ち去る者は誰もいない状態であった。

 遥か日本から10数時間のフライトでやってきた部員たちはきっと大きな何ものかを得たに違いない。この貴重な体験を今後の演奏、勉学あるいは日常生活に生かしてがんばってもらいたいと思っている。
 ところで部員65名を中心とした大派遣団とは別に一日遅れで成田を出発した総勢24名のグループがあった。父母の会役員・部員の保護者・高校後援会役員・地域の人々等、公募で集まった「随行応援団 団長学園理事・赤見市郎 副団長父母の会会長・岡部吉幸」一行である。

 3月10日午後12時55分ほぼ定刻で満員の客を乗せて成田を発ったスカンジナビア航空機は新潟上空から日本海を北上、ナホトカ付近よりロシア領に入り高度1万メートル、平均時速900キロメートルでシベリア上空をまっしぐらに西へ、ウラル山脈を越え経由地コペンハーゲンに着陸したのは日本時間11日午前0時14分(現地時間10日午後4時14分 天候良好 気温摂氏9度)であった。ウィーンはそこから1時間程のフライトの距離にあった。

 短い滞在ではあったが無事応援鑑賞出来たことの満足感にひたり、滞在最後の夜、理事長やお世話いただいた現地の岡部ご夫妻等と一緒にドナウ川ほとりに聳え立つドナウタワー最上階を緩やかに回転するレストランで市街の夜景の美しさを眺めながらワイン、ウィーン料理を楽しんだことが公演での大歓声とともに忘れられない思い出として残っている。

ウィーン旧市街地 職業料理学校前にて
前の写真を少し大きくしてみました。誰だかわかりますかぁ。



「秋川地区災害防止協会」研修に参加
  平成14年11月18〜19日
写真左 東京消防庁第三消防方面本部消防救助機動部隊が誇る車両(特殊災害対策車)をバックに。

東京消防庁第三消防方面本部消防救助機動部隊は
放射性物質、生物剤、化学物質等に係る特殊災害の発生時に、迅速に都民の安全を確保するため、高度な専門能力を有する46名の隊員と特殊な装備・資機材等で編成された専門部隊として設置されている。都民の安全確保のためがんばっている。
たのもしい限りである。

写真左 「海ほたる」にてバックは房総半島方面。



日光の旅(2002年夏)

向かって左市郎母 梅子
(明治44年生まれ91歳 )
右恵子母 毎子
(大正2年生まれ88歳)


杖持ってがんばる二人。
降りるときの方が大変のようです。

今年の夏は3回も日光へ行ってきました。
8月20日二人の母を連れて日光へ。二人とも高齢にも関わらず日光の階段を昇りきり東照宮まで行ってきました。左の写真二枚はその時のものです。

下の写真二枚は、8月31日〜9月1日東海大学菅生中学・高等学校父母の会役員との研修旅行の時のものです。

訪れたスポット
霧降高原 大笹牧場 霧降の滝 栗山ふるさとセンター 日光東照宮 薬師堂(鳴龍)奥社他 東照宮前お食事もみぢ いろは坂 華厳の滝 中善寺湖 竜頭の滝 戦場ヶ原 光徳牧場 日光湯元 金精峠 片品村(野菜売り場) 原田農園(ぶどう狩り)他 


ひとり言
今年の夏は、世界遺産(注参照)を二つ見てしまった。
一つ 「万里の長城」
二つ 「日光の社寺」

注 世界遺産
 
 世界各地の文化遺産・自然遺産を人類の共通財産として国際的に保護し、次世代に継承していくことを目的として1972年11月ユネスコ総会で採択された世界遺産条約に基づいた「世界遺産リスト」に登録されたものをいう。


華厳の滝に頭を打たれて毛がはえるか?
頭がスッキリしたか?。わかりません。
華厳の滝
那智、袋田の滝と並ぶ日本三大名瀑のひとつ。中禅寺湖から流れ出た水が、高さ約100mの岩壁を一気に落下する。有料エレベーター(大人昇降券昇降各一回530円)で観瀑台へ。下から見上げるとその豪快さがよくわかる。

あと少しで山頂へ。ここまでは豪快なロープウェイ(ゴンドラ)が通っています。ゴンドラ山頂駅付近にて。
日本百名山 日光白根山
 群馬県片品村の北東部、群馬県と栃木県の県境にあって日光火山群の主峰であり活火山です。標高
2577.6m、関東以北では最も高く、周辺に座禅山、前白根山、白根隠山の外輪山を従え、その内側に弥陀ケ池、五色沼の湖沼や大凹地があります。    菅沼、丸沼、大尻沼はこの山の噴火によるせき止め湖です。景観にすぐれ、高山植物も豊富なことから昭和32年に日光国立公園の特別保護地区に指定されました。



丸沼高原 ゴンドラ
 標高1400mから2000mまでの標高差600mを一気に登る。通年営業。
 ゴンドラ山頂駅からは日本百名山の一つ「日光白根山」のすばらしい眺望が一望できます。



  水の都 松江の旅
ー平成14年8月23日(金)〜25日(日)ー
    松江城(別名千鳥城)
 山陰地方で唯一現存する天守閣を背景に妻と


小泉八雲記念館前にて

仲間たちと記念写真
写真が小さくて顔が見えませんね。
ごめんなさい。



 平成8年11月8日〜23日の16日間、文部省海外派遣団第492団(スペイン フランス教育事情視察))に参加した仲間達(全国市町村教育長等)は、その後も毎夏各都県持ち回りで研修会を開いている。
 今年は島根県が会場となり松江で開催された。研修の日は24、25日であったが妻を同行して一日前の出発となった。松江(出雲)空港は羽田から一日5往復の大型機が就航していて、行きは若干の空席があったものの帰りは全くの満席であった。
 
 松江は、宍道湖と大橋川、掘割に抱かれた「水の都」で歴史と文化の香りの高いしっとりと落ち着いた城下町である。
 
 私達が訪ねた主なスポットは次のとおりである。
宍道湖 出雲大社 一畑薬師 日御碕 同灯台 松江城  小泉八雲記念館 堀川遊覧船(1000円何回でも乗船可) 月照寺 
ぐるっと松江レイクライン(一回乗車100円 500円で一日何回でも乗り降り可)


 追記1:24日午後のこと、出雲大社めぐりの観光バスの旅を終え、松江駅前から研修会場へタクシーで向かおうとしたところ、運転手から勧められて「一畑薬師」へ向かうこととなった。そこはこの辺では目の病に悩んでいる人々が訪れる有名なところなんだそうである。。私も数年前眼底出血の手術を受けたりして目には若干の苦労をしていたので一つ返事で向かうことにした。山奥にもかかわらず多くの人が訪れていた。
 そこで出会ったこと、何と寺へ向かう山道で蛙を銜えた蛇に出会ったのである。それも蛙はややピンク色をした白い蛙であった。背後から「よしなさいよ。」という妻のきつい声をさえぎって私はカメラをむけた。運転手は知らん振りしていた。
 私が小学校に入る前、叔父たちに連れられて高尾山へ行った時にその光景を見て以来の出来事であったので(あの時はもっとでかい蛇とがま蛙であったが)もうかれこれ60年振りの出会いである。それも白い蛙を銜えた場面である。
 強がりを言うわけではないが、その場面に一人でいたなら、正直なところ蛙を助けてやろうと思ったのであるが、現実はバタバタしている蛙を瞬く間にのみこんでしまった。
  あいにくデジカメが容量一杯でとっさに処理することが出来ず、中国・万里の長城の出店で購入したフィルムの入ったカメラに収めたのでうまく撮れているか今のところ不明である。上手く撮れていたら後日この欄で公開したい。(写真は出来上がったが蛇及び蛙の名誉のため公開しないことに決めました。ご理解ください。)


 追記2
(なおこの研修会は来年は東京が当番である。)


残念ながら有名な宍道湖の夕日は見るチャンスがなかった。 (ただ記憶のまま書きました。とりあえずこの辺で。誤字脱字あとで直します。 未完)



 ー「菅生学園北京植樹実行団」とともにー

北京・孔子廟にて(2002年7月2日)
孔子様にあやかりたいと思って撮りました。


私は表記実行団の一員として、去る6月29日から7月2日まで中国・北京を訪問しました。

 世界遺産に登録されている万里の長城や中国の首都北京では砂漠化が深刻な問題となっています。その原因はモンゴルからの風にあるのだそうです。

 北京市は今多くの予算と労力をかけてその風を防ぐための植樹事業を実施しています。そのお手伝いをしようということと菅生学園の高等学校(東海大学菅生高等学校)生徒の修学旅行の目的地が毎年北京となっていますのでお父さんお母さん方にもこの目で現地を見ていただこうということで島田久理事長を団長として実行団を結成して訪問となりました。

 植樹の場所は北京市街区より80キロメートル程離れた万里の長城近くで住民達と協働作業で松(現地では油松といっていましたが)の苗木(高さ1.5m)を100本植え込んできました。小さな小さなお手伝いでしたが、大きな松として育って役目を果たしてくれるよう期待しています。

 中国の人たちと和気あいあいと汗を流すことができうれしく思いました。終わって八達嶺の長城の一番きつい坂道に挑戦し見事に?登頂記念証をゲットすることが出来ました。それで自信をつけ今は時々秋留台公園の外周を歩き周っています。
           2002年8月11日記

 中國八達嶺長城植樹紀念(原文のまま)


同上本文



 日本語訳
 
世界の人々が環境を重視している今日、貴方は緑化の使者として有名な万里の長城・北京八達嶺周辺の記念植樹をされ、世界遺産を保護するためすばらしい功績を残されました。
 この度の労を永遠に記念碑に刻み残されます

   北京市延慶縣緑化委員会
             2002年7月1日

 

 
万里の長城に登ったという記念証
     2002.7.1
男坂の一番高い地点でゲット(有料 80元 )

   名前と日付は自分で記入

天安門広場にて


植樹の後 中国の人達と記念写真


万里の長城 男坂 頂上付近にて
追記:東海大学菅生中学・高等学校父母の会発行
 「すがおVol.25(平成14年9月10日発行)より転記


 
「菅生学園・日中国交30周年北京記念植樹」

 
私たち、「菅生学園北京植樹実行団」は、団長・島田久学園理事長、副団長・岡部吉幸父母の会会長以下父母の会及び後援会役員等計10名で構成し6月29日から7月2日まで中国・北京を訪問しました。

 訪問の目的は、砂漠化が深刻な問題となっている万里の長城付近や北京周辺に現在植樹をする事業が北京市の手で進められていますが、そのお手伝いをしようということと菅生高校生が毎年修学旅行の目的地としている中国・北京の姿を親としてもこの眼で見ようということにありました。

 飛行機が成田空港を発ったのは、周辺の天候が悪いという理由で1時間遅れの11時45分でした。フライト中は時々激しい揺れに驚かされましたが、現地時間15時16分無事北京空港に着陸しました。
 雑踏と喧騒の街、日本では今やあまり見ることのできなくなったバイタリティーあふれる自転車交通、忙しく警笛を鳴らし走り回る車が行き交う北京に身を置き、ここは中国なのだといやおうなく肌で感じあう団員一同でした。

 明清代を通じて中国の首都であった北京は故宮をはじめとする数多くの文化遺産が残っている旧市街地の内城地域、団地等の開発が進む新市街地の城外地域、それに山岳地帯を含む農村部から成り立っていますが、植樹実行までの2日間は、菅生高生が修学旅行で訪れる代表的な箇所を訪問することにしました。

 中でも印象深かったのは、北京を訪れる人が必ず寄る中国・北京のシンボルである天安門と天安門広場でした。市の中心に位置し、面積40万平方メートル、ガイドの説明によれば、敷き詰めた敷石、大きさは2人が立てるほどの長方形の石なのですが、そこに1人立つとすれば、50万人、2人立てば100万人の大集会場となる世界で最も広い広場とのことです。ここに来た本校の生徒たちはなにを感じたのでしょうか。

 植樹を実行したのは北京に入って3日目の7月1日でした。
 場所は、北京市延慶県八達嶺鎮里炮村という世界遺産としても有名な万里の長城の麓にある村でした。ちなみに申し上げますと中国の行政区は日本と異なっていて市の下に県(区)があり、県の下に鎮(町)があり、鎮の下に村があるのだそうです。わかりやすくするため北京市郊外の里炮村といったほうが良いようです。
 植樹でいろいろお世話いただいた県の緑化担当事務所の責任者李さんの話によれば里炮村地域はモンゴルから来る風の通り道でここを緑化してその風を防がないと近辺の万里の長城はもとより遠く北京の市街地も砂漠化が進んでしまうのだそうです。そのため北京市は多くの予算をかけ植樹をしているとのことでした。
 また、かつては小渕総理大臣達もこの地で植樹をしたのだそうです。この9月には1万人の日本人で日中国交回復30周年記念事業の一環として大植樹祭を予定しているとのことでした。我々はそれに先駆けて行う形になりました。

 植樹した苗木は華北地方の松、現地では油松というもので高さ1.5メートルもある2人でないと持ち上がらないほどの立派な苗木でした。あらかじめ現地の農家の人たちが掘っておいてくれたところに100本を目標にみんな汗をいっぱい流しながら植えました。
 幸いなことに現地の人たちも出てくれて一緒に植え込むことが出来、正に日中協力のもとで実施できたたことは大変うれしいことでした。はじめは皆黙って作業をしていましたが、慣れるにしたがって手まねの会話がはじまり年齢の当てあい等もはじまり、植えた苗木を中心に記念写真を撮ったり、遥かかなたに万里の長城を見渡す大地に座り込みペットボトルの中国産の水を飲んだり短い時間でしたが、楽しい、心地良いひと時を過ごすことができました。

 私たちの小さな小さな行動がやがては大きく実り、北京・万里の長城を砂漠化からまもり、ひいては地球環境の保全の一助になればと願って現地に別れを告げました。
 植樹後、万里の長城(八達嶺長城)を全員急坂の続く道(男坂)を登り切り遥か西方の山々をくねくねと続く長城を眺め、人類の壮大な歴史遺産の保護に役立つのだという満足感が足の痛みを忘れさせてくれました。

 3泊4日の短い訪問でしたが、古くは遣隋使、遣唐使等によって文化の影響を受けた隣国、中国の首都北京に暮らす市民達のエネルギッシュな生活振りを垣間見ることの出来た満足感を胸に「まもなく左手に富士山が見えます」との機長のアナウンスを受け夕闇迫る成田空港に帰着したのは18時59分のことでした。(北京植樹実行団赤見 市郎記)


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Produce byIchiro Akami
2002・8・9〜