社会教育関係 赤見市郎 執筆原稿

民間等教育事業者との提携をすすめる
あきる野生涯学習センターの実践

※これは平成11年度関東地区都市教育長協議会第4分科会ー生涯学習ーにおいて発表するため赤見市郎が執筆し発表した資料である。
A4 40頁 残部若干あり。希望者に差し上げます。

目次
1 あきる野市の地域概要
2 JR秋川駅北口のまちづくり(土地区画整理事業)と産業文化複合施設(   あきる野ルピア)建設
3 産業文化複合施設(あきる野ルピア)内に生涯学習センターを設置
4 民間等教育事業者との提携による運営を指向
5 NHK学園との連携ー市と「豊かな生涯学習社会実現のための相互の連  携・協力に関する基本協定」締結ー
6 あきる野生涯学習センター事業の概要
7 あきる野市の生涯学習と関係諸機関等との連携についての今後の展望



平成10年度
東京における生涯学習関連機関の交流集会
生涯学習関連機関の連携・協力の方策について


※これは平成10年10月30日(金)ホテルフロラシオン青山で東京都生涯学習センターが主管して開催された交流集会で赤見市郎と日本放送協会学園の割田オープンスクールセンター長が「あきる野生涯学習センターにおける市とNHK学園との連携事業」と題して発表した資料が掲載されている冊子である。
33頁〜51頁  残部なし。


社会教育職員研究 第7号
2000年4月発行 
発行者 全国社会教育職員養成研究連絡協議会
      早稲田大学教育学部 大槻研究室内
※残部 多少あります。ご希望の方は赤見へご連絡ください。


〔赤見注釈〕全国社会教育職員養成研究連絡協議会は早稲田大学教育学部大槻研究室内に事務局を置き、各大学社会教育担当の研究者達が集まって社会教育職員の養成について情報交換、研究発表を目的に組織されている。「社会教育職員研究」はその機関誌である。
 1999年6月の協議会において発言した内容をもとにまとめたものである。


『33〜37頁掲載』
 自治体における社会教育専門職の採用にかかる諸事情
   ー社会教育専門職を目指す学生の皆さんにー


                赤見市郎(前東京都あきる野市教育長)

1.めまぐるしい世の動き

 −社会教育行政も現在大きな変化のうねりの中にあるということを
先ず常に認識しておく必要があるー

 昨年の6月早稲田大学で開催された全国社会教育職員養成研究協議会に、かつて大学でともに社会教育を学び、現在東京昭島市で教育長を務めている小林 肇氏に誘われて参加し表題のテーマで発言する機会を得た。その時の発言内容をもとに多少なりともお役に立てばと筆を執ることにした。私は昨年10月任期満了により約8年間に亘る教育長職を退き、フリーの身になったので社会教育専門職を目指す学生の皆さんに機会があればより詳しく話ができればと思っているが、今回与えられた字数に限りがあり舌足らずな面が多々ある点ご容赦願いたい。
 ところで、最近の社会の動きに目を投ずると、高齢化、少子化、国際化、情報化などといわれてめまぐるしい変化の時代となっている。教育界においてもまた同様である。
 皆さんは多分次のことばを耳にしたことがあると思う。

 学校五日制、複数担任制、AET、校長民間人登用、民間企業体験研修、  学習指導要領の全面改定、教職員の人事考課、学校評議員、総合的学習 、生活科、公立小中学校の自由選択制、職員会議の位置付け、学校文書 管理規定、国旗国歌の法定化 等

 ただ思いつくままにここ数年学校教育関係で話題となった事柄を時系列を無視して並べただけであるが、これらは単に話題となって消えてしまったのではなく、いずれもそのめまぐるしい動きの中で現実のものとなったものばかりである。
 社会教育の分野でも、社会教育法が法律制定50年目の平成11年に一部改正される等動きがあった。ご承知のように我が国の社会教育行政の枠組みは社会教育法(昭和24年)、図書館法(昭和25年)、博物館法(昭和26年)が定められたことに始まり、これらのの法律により社会教育施設並びに社会教育指導体制の整備・充実を中心に各自治体で諸計画を今日まで推進してきたのであるが、社会教育行政を巡る状況の変化、あるいは地方分権推進施策の一環と相俟って改正されることとなった。

2.「地方行政に飛び込んで社会教育を」と進言されて 

 −自分の殻に閉じこもることなく、所属する場の枠を越えた研修・研究
に意欲的に参加する必要があるー

 私ごとで恐縮であるが、私は昭和30年代前半、大学で社会教育を専攻、社会教育研究会に所属し4年間社会教育漬けの後、指導教授の「地方行政に飛び込め」の教えもあり、また東京都教育委員会社会教育主事(後に初代社会教育主事室長)藤田先生の強いバックアップもあって私にとって全く縁もゆかりもない地、東京都西多摩郡秋多町(現あきる野市)教育委員会に社会教育主事として就職することになった。前述の社会教育法に基づく市町村への社会教育主事設置規定により郡内各町村が専門職の配置に力を入れた時のことであった。
 市町村の公務員は今でこそ給与面をはじめ、諸勤務条件は整備され、その待遇において民間あるいは国都公務員とそう見劣りしないものとなっているが、当時は他の業種に就いた友人諸氏と比較すると情けなくなることしばしばであった。その上、専門職といえば格好がよいが、教育委員会には社会教育担当職員は自分一人しかおらず、学校教育以外のことはすべて一人で取り組まなければならない状況であった。同じ境遇にあった郡内8つの町村教育委員会の社会教育主事が集まって西多摩社会教育主事会が結成されたのもこの頃であった。
 この主事会は発足当時は仕事を終えた夜間に、東京都青梅青年の家や町村役場に集まり殆どの者が土地勘のないところで専門職になって生ずる悩みや仕事上の問題点を前にお互いに励ましあうという懇談の場、息抜きの場であったり、当面必要だった青年教育や婦人教育関係の書物を読みあって研修することが主目的なものであった。ほどなく各町村の教育長の理解を得て正式に認知され、更に活動範囲を拡げ共同研究へ進むこととなった。

 以下特徴的なもの二つを紹介する。
 一つは「婦人学級」の共同実践研究、もう一つは「社会教育主事の専門性」についての共同研究であった。
 「婦人学級」の共同実践研究は、「実験婦人学級」を一か所開設し、主事会のメンバー全員が開設から運営、教材研究、地域講師の活用等すべてのことに関わりこれぞ「婦人学級」というモデルづくりに心血を注いだものであり、そこで得た成果を自分達の町村に持ち帰って活用しようとのねらいで始めたものであった。
 この研究内容は「ある婦人学級の記録」として西多摩社会教育主事会名で発刊された。(昭和45年12月 300冊発行)
 「社会教育主事の専門性」についての共同研究は、専門職として各町村に採用されたものの実態が専門職とあまりにもかけ離れた現実に、本来の専門職とは何なのだろうか、それを実現するためにはどうすればよいのか、それぞれ会員が思いを込めて取り組んだものであった。
 「身分」「待遇」「職務内容」などについて分担して研究に取り組んだ。個々の研究は進み原稿はかなり集まったが残念ながら書物として日の目を見ることはなかった。

3.あきる野市の専門職の採用事情と私の足跡

 −狭い社会教育観にこだわることなく時には脱皮することも必要であるー

 あきる野市は平成7年秋川市と西多摩郡五日市町が合併して出来た市であるが私は秋川市及びあきる野市の教育長を経験したので、そのあたりのことを含めてここ数年の事情を報告したい。
 まずごく最近の事情からいえばあきる野市では合併してから今日まで一般職の職員は採用試験を実施したことがない。理由は経済状況、社会状況から新規採用を控えていることと合併により生じたいわゆる余剰人員が生まれたことそして事務の近代化、合理化が主な原因である。
 専門職については保育士、看護婦、保健婦は欠員補充、介護保険事業等の新規事業に伴う若干の採用を行ったが、社会教育主事などの社会教育専門職についてはゼロである。
 本市にはかつて「多西(たさい)公民館」(昭和24年開館 三村合併により昭和30年秋多町公民館)があり、全公連より優良公民館の指定を受けるなどその活動振りは優れたものであった。昭和45年廃館となったが、新しい公民館が欲しいという住民の要望に市が応えて、昭和50年8月「秋多町中央公民館(現あきる野市中央公民館)が開館した。
 私は当時社会教育課長をしていたが、市長、教育長にお願いして公民館専門職を採用枠に明示(三人)して新規に採用してもらうことにした。この時を除いてあきる野市(現秋川市)は社会教育専門職(除く司書、文化財専門職)としての職員を採用したことはない。
 その時の三人の内一人は都合により退職したが残りの二人は公民館の職は離れたものの現在社会教育関係の職場で中堅職員として活躍している。
 国家公務員や都道府県公務員の場合と異なり市町村職員は専門職として生涯従事するということは必ずしも完全に保障されているとは言い難いのが現実である。その自治体のジョブローテーションにより異動させられることもあるということである。しかし最近は各自治体とも自己申告制度の採用など人事管理システムが確立しているので全く自分の意に反した職場へ異動させられるということはなくなっているといっていいだろう。
 従って、数多く受験の機会がある一般職で受験して採用された暁には自己申告などを通じて社会教育担当職員になる方法も一つの選択肢として持つことも必要と思っている。

 次に私自身の市での主な足跡について報告しておく。
以下準備中


社団法人 全国社会教育委員連合会/企画 編集・発行
  社教情報 NO41(平成11年9月30日発行)

〔赤見注釈〕私の主張
「社教情報」という雑誌は、全国の社会教育委員を対象にしたまさに情報誌である。そこから特集として「社会教育法五十年」を組むので何か思うところを書いて欲しいと依頼されてペンを執ったのが下記のものである。
 紙面に限りがあるので十分言い尽くせていない点もあるが、ここで私が強調したかったのは2つある。
1 公民館は住民にとって大切な施設だ。ただ施設(私の大嫌いな単語であるがいわゆる「ハコモノ」)を作って事足れりと思ったら大間違いだ。施設に魂を入れなければならない。それは何だ。ここにはスペースの都合で書いていない。だだあきる野中央公民館の賑わい・住民とのかかわりを見ればそこに答えがある。
2「住民・議会・行政が一体となって新公民館を建設」というくんだりだ。
  (ひとり言:これが大切なんだ。市政運営全てに通じることだ!)



 『22頁掲載』 

 社会教育と私

   公民館の進む道

                    東京都あきる野市教育委員会教育長
                              赤 見 市 郎
 教頭選考試験問題

 今年の夏、東京都教育委員会が実施した小・中学校教頭選考筆答試験に、次の文を読んで自分の考えを二千字程度で論述せよという問題があった。
『「お客さんが誰で何を望んでいるか、そういう調査をしないではお客さんのニーズには応えられない。学校では、子どもたちの学習がどれほど定着し、その力がどれほど伸びたかを検証しない限り、教師の自己満足に終わってしまう。東京という地域の特性を生かし、子どもたちや保護者のニーズに応えるようにしない限り、学校の求心力はますます弱くなる。」という指摘があります。 このことについて、教頭としてあなたの考えを具体的に述べなさい。』
 学校教育と社会教育の立場の違いで必ずしも、問題がしっくりこない面もあるが、適当な部分を「住民・利用者」「自分たちの住んでいる地域」「公民館職員・公民館運営審議会委員(社会教育委員)」「公民館」等と読みかえて問題に取り組むとすれば、どんなことになるのであろうか。

 あきる野市の公民館の歩み

1 多西公民館の活躍と廃館

 本市にはかつて「多西(たさい)公民館」があり、全公連より優良公民館の指定を受ける等その活動振りはめざましいものがあった。
 この公民館は、旧陸軍使用の建物を譲り受け昭和24年に多西村(現あきる野市)が移築設置したものであり、我が国における公民館設置の発端となった「公民館の設置運営について」文部次官通牒が、昭和二十一年、社会教育法公布が昭和二十四年のことを考えると新しい村づくりを目指した当時の村民達のすばらしい発想と決断に敬服の念を抱かずにはいられない。
 その頃公民館主事だった人の話によればこの施設を利用し、村民による図書室の運営をはじめとして映画会、講習会、NHKの政治討論会、レクリェーション等幅広く事業が実施され、戦後の混乱期を抜けきれない社会情勢にあって村民にとって唯一の憩いの場、語らいの場であったという。
 多西公民館は、その後三村(東秋留村・多西村・西秋留村)合併により秋多町制施行(昭和三十年四月)により名称を秋多町公民館とするが、昭和三十年代後半からの人口急増による義務教育関連施設の整備に追われる財政事情、合併直後の行政事情等により老朽化する建物への対応、専任職員の確保まで手が回らず昭和四十五年三月、廃館となった。

2 住民・議会・行政が一体となって新公民館を建設

 しかし「公民館が欲しい」という住民の願いは根強くあり、各種団体代表をはじめとした有志によって「公民館を話し合う会・建設発起人会」が、廃館とほぼ同時期に結成され行政・議会への積極的な働きかけが行われた。そして市制施行(昭和四十七年五月 秋多町単独市制施行 秋川市となる。)によるまちづくりの中心施設として秋川市中央公民館の誕生となった。昭和五十年八月の開館で多西公民館廃館から五年のことであった。(平成七年九月秋川市・五日市町合併 あきる野市中央公民館と名称変更)
 この建設にあたっては、「新しい公民館像を目指して」(昭和四十九年三月東京都教育庁社会教育部発行)を参考資料にして各種社会教育関係団体の代表者会議を開き、要望事項を、ほぼ全面的に組み入れ設計されたのであるが、この間社会教育委員会議のメンバーは、多摩地区の先進諸施設を見学したりして基本設計策定にあたって中心的役割を果たした。
 また、最終実施計画は、市(市長 助役 教育長)、議会(議員)、教育委員、社会教育委員、団体代表で組織された「公民館建設委員会」で議論して決定する等市を挙げての事業となった。いわば住民が望んで、住民が計画に参画し、それを行政と議会が受け入れて出来上がった公民館であった。
 その精神が今に生きていて今年一月にはあきる野市中央公民館が事務局となって第三十七回東京都公民館研究大会が開催される等特色ある活動を続け、抜群の利用率を誇っている。

 公民館は地域の共同学習の場

 公民館は社会教育法に基づいた小集団による共同学習を活動の基調とする極めて重要な役割を持った地域の社会教育施設である。
 今、学校では、平成十四年度から始まる「総合的な学習の時間」に話題が集まっている。従来の理科、社会等の教科別学習でなく各小・中学校がそれぞれ創意工夫を生かして、地域や学校、児童・生徒の実態等に応じたテーマを選び、全教科に横断的で総合的な(共同)学習を行おうとするものであるが、実はこのことは公民館の世界では五十年も前から手掛けていたあるいは目指していたことなのである。
 公民館は個人学習の場だけにとどまらず住民の主体的な共同学習の場であるということを念頭に置き、生涯学習社会の到来で林立する諸施設にあって、それらのリーダーとして多くの住民に愛されながら求心力を弱めることなく進んでいって欲しいと心から願っている。
          (元)秋多町〔現あきる野市〕社会教育主事)


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2002・8・9〜